私が大学を卒業して、株式会社船橋ヘルスセンター(現在のららぽーとマネジメント株式会社)に入社したのが昭和59年だったと思います。当時の大先輩の方にお借りして読んだのがこの本でした。できれば、後輩の諸君や、船橋市の関係者の皆様に歴史の一端を知っていただきたいという思いから、ここに残させていただくことにします。


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丹澤善利自伝より


 この良好なる地質


 次にこの地域の地質について申し上げます。専門的な知識をもたない人は、この地域は地質が軟弱であるから、埋立てに適当しない、というような素人考えの説をなす人があって、これがともすれば千葉以南を重視するための逆説になっております。
 ところが、われわれの調査では、浦安、行徳、船橋の一部には、旧江戸川河口と思われる個所に、やや軟弱の地盤を検出されますが、これを東京都側の、葛西地区に比べると、はるかにこちらの方が良好であり、各地区において数ヶ所を避けるか、あるいは基礎の補強方法をとれば、あとは良質の砂層が、数百米も堆積していますから埋立てより、いわゆる「水締め」の地盤となり、少しも心配することはないのであります。


 現に市川、船橋の埋立地には、工場が林立し、ヘルス・センターの鉄骨鉄筋の四階建ては、微動だにせぬのであります。しかもわれわれは、べつにこの地に重工業を招致する意図も、数十階のビルを建築する希望も持つものではありませんが、地盤云々については心配する必要はあります。いずれにしても、地盤の軟弱なる、東京側が埋立てに踏み切り、対岸浦安も、これに呼応したる以上、行徳、船橋、習志野の、土地造成を阻む理由にならないのであります。


 ともかく、本所、深川、江東地区の中小工場なみの敷地、及び国民多数が渇望している、都に近い地点に、新たな土地を作るのが目的であり、いずれの点より見ても、船橋を中心として、浦安より千葉までの干潟地を、一時も早く埋立て、国土の大造成を計ることが急務で、自然、航路の掘鑿による万噸級の船舶港を船橋に、設営すべきものと信ずるのであります。