私が大学を卒業して、株式会社船橋ヘルスセンター(現在のららぽーとマネジメント株式会社)に入社したのが昭和59年だったと思います。当時の大先輩の方にお借りして読んだのがこの本でした。できれば、後輩の諸君や、船橋市の関係者の皆様に歴史の一端を知っていただくために、ここに残させていただきます。


*******************************************************************************


埋立てと温泉


 決心がつくと、すぐこれを引き受ける。それが従来の、私のやり方であります。昭和二十八年四月、朝日土地興業株式会社は、授権資本金一億円、払込金五千万円で創立されました。
 私は会社の創立に当たって、自分のいだく抱負や理想を、忌憚なく、友人、知己の間に説いてまわりました。そして、まっさきに、半数の株を引き受けて、参加して下さったのが、故 南俊二翁であります。私ともっとも近しかった翁は、私の請いに応えて、次のようにいわれました。
 「今の日本で、一番緊要な仕事は、国づくり、土地づくりだ。
 僕は君の創意に、双手をあげて賛成する。ついては君も、いろいろの仕事を全部辞めて、こんどの、この仕事に専念してくれ給え。
 僕は君との長い親交にめでて、寄付するつもりで、君に投資しよう。君の、その理想と情熱に敬意を表して投資しよう」
といってくれました。


 しかし、その次の増資には、負担しきれないから、誰か一人賛成者を作ってくれとのことで、私は菊池寛実さんに、依頼しましたところ、これも南さんと同意見で、増資額の大部分を引き受けてくれました。第三回目の増資のときには、埋立ても大部分できていましたし、そして山一証券の大神社長が、現状を見、私の抱負も聞かれた上、大胆にこれもその大部分を、お引き受け下さったのであります。
 もちろんこの三氏の外にも、創立から、私に賛成して、日本火災の前社長斉田高三さん、埼玉銀行の前頭取平沼弥太郎さん、京成電鉄の社長川崎千春さん、昭和産業の社長松本浩さんも株主になってくれましたが、その後、三井不動産の前社長山尾忠治さん、大正海上の前社長山根春衛さん、日本冷蔵の社長木村鉱二郎さんらの有力者が、次々に応募せられ、かつ重役としても参加されて、物心両面にわたって、大いにご支援下さいました。かくして会社は、おりから景気の下り坂にもかかわらず、極めて順調な歩みを続けたのであります。


 そこで私は、市側の嘱望される、温泉場の設立に着手すべきことは、十分承知しておりましたが、私の構想としては、市の要望のままに、護岸もない、この七千坪の敷地に、小さな温泉場を作ってみても、そんなものは、船橋市を代表する、大観光施設にはなりはしない。もっと大規模なものを計画すべきだ。それには、七千坪ではせますぎる。そう思って私は、敢然として、十一万余坪の埋立てを、先にやろうと決心したのであります。
 これにはいろいろの異論もあって、たびたび市会の問題にもなり、私に対する非難もききましたが、私の信念は少しも変動いたしませんでした。幸い、東亜港湾株式会社の岡部社長や、小柴専務のご協力によって、エ事は着々として進み、翌年の昭和二十九年九月には、めでたく十余万坪の、新地造成に成功したのでありますが、この埋立ては千葉県としては、実に戦後最初の工事であったといわれております。


 かくして、埋立ての竣工をみるやいなや、直ちに大温泉場の建設に着手しましたが、これはもちろん、温泉娯楽場としては、本邦一の大施設として、船橋の代表的名所にするという、抱負のもとに着手したのでありますから、その手初じめに、まず一百坪のローマ風呂…熱海のものより二まわりも大きい…を造り、これに五百坪の広間と個室と、その付帯設備とを、十二万坪のまんなかに、ドカッと作りあげたのであります。
 そしてここを“船橋へルス・センター”と命名しましたが、その命名者は、千葉三郎さんでありました。
 こういいますと、いかにもすらすらと、出来たようでありますが、この温泉場や、埋立工事が完成するまでには、実にいろいろの問題がありました。


 たとえば、市会のある人は“温泉を後にして、埋立てを先にするのは契約違反だ”と、責めたてた人もあり、そうかと思うと“あんな原ッぱに温泉場を造っても、お客なんか行くものか”といって冷笑し、われわれを誘導しておきながら、冷たい仕打ちに出たことも、たびたびありました。
 現に場内の売店のごときも、初めのうちは、誰一人引き受け手がありません。“三十万円も保証金を出して、お客が来なかったら丸損だ”といって、ただ一人応募しただけで、外に相手にする者はいないのです。しかたがないから私は、縁故者数人を説きつけて、三十万円の保証金をとり、ともかく営業をやらせたわけであります。


 初めのうちは、あらぬ非難や、アラ捜しばかりで、応接の煩にたえないくらい。それも外部ばかりでなく、会社の内部にも異論があって、“埋立ての方は賛成であるが、温泉経営の方は”云々というわけで、いつも苦情と、質問の矢面に立って苦しみました。
 創業というものには、大なり、小なり産みの苦しみというものは、避けられません。中には、資本家という、階級的な嫌悪から、事業に対して、いろいろの中傷や、非難を浴びせるグループもありました。
 町の有志と称する人々、あるいは、ある同業組合などは、頭から“ヘルス・センターは赤線類似のものになるだろう”と断定して、“かくのごときものは、船橋市のために、断乎排撃すべきだ”と論じ、パンフレットを作って、青年会や婦人会に呼びかけ、市民大会まで開催しようとしたのであります。
 そこで私は、健全なる娯楽と、慰安を標榜する経営方針と、施設の内容や、あり方について、一生懸命に弁疏いたしましたが、その人たちは何といっても聞き入れてはくれません。
 結局、仲に立つ人があって、妥協条件が示されましたが、それによると“どこかの売店なり、館内の、何かの利権を与えれば、今後は反対しない”ということでありました。


 私もいろいろ考えてみましたが、世の中には、正論が正論として通用しないこともあり、俗に目明き千人、盲千人とも申しますから、やむを得ず、その条件をのんで、穏便に納めたこともありました。
 世の中には“ゴネドク”という言葉がありますが、時と場合によっては、ゴネた人に一応のトクを与えることも、またやむを得ない場合もありましょう。しかしそこに、誠実と勤勉が伴わなければ、永続するものではありません。これは一つの例ですが、こんなケースは数えきれないほどありました。
 私は自分の信念として、こういう売り込み方には、どうしても与みすることができません。現在へルス・センターの中にも、いくつかは、請負制度の売店がありますが、これらの売店を経営している人は、気の毒な未亡人とか、あるいは、特殊な販売技能をもった人の、そのどちらかでありまして、この範疇に入らない人は、私の縁故者といえども、辞めてもらったのでありまして、この方針は、絶対に崩さないつもりであります。


 また、ヘルス・センターでは、人を採用する根本方針として、できるだけ、地元の人を採用することにしていますが、開場当時、七十人ほどの臨時雇を募集しましたとき、その応募者をみますと、その態度や、服装を見ただけで、面接係の幹部が、尻込をするありさまでした。
 それが今では当時の応募者が根ともなり、柱となって八百人からの優秀な社員や、雇員を擁する、大世帯になりましたが、これらの従業員をごらんになると、いまはやりの“人づくり”が、ヘルス・センターでは、開業以来、着実に行なわれていることを、お気づきいただけると思います。


 このようにしてわれわれは、随分、険しい山坂を越えてきましたが、おかげで、当初五○○坪をもって、発足したヘルス・センターは、現在敷地八万坪に、一万三、○○○坪の建坪を擁し、ここに送迎する顧客は、かの、世界一を誇る、アメリカのディズニーランドの来客数を、いくらか凌駕する盛況で、観光船橋を宣揚し、ヘルス・センターの元祖として大いに気を吐いているのであります。
 しかしわれわれは、決してこれをもって足れりとするものではありません。今後といえども怠りなく、その使命の遂行に向かって、ますます勇猛精進を心に期しているのであります。幸い、マス・コミ関係でも、ヘルス・センターのあり方を支持して、大衆のあるがままなる愉悦の姿を世に報じ、これこそ日本独特の、様式と経営であると、賞揚することを惜しみません。


 しかしながら一部には、まだまだ食わず嫌いや、高踏者流があとを絶たず、このような大衆の満足と、社会的意義に目を覆うて、あえて悪声を放つものも少なくありません。
 たとえば、ヘルス・センターは税金をゴマかしているとか、埋立てで漁夫の利を占めたとか、甚だしいのは、お湯を二度沸かしているとかの、悪意に満ちた放言でありまして、中にはこれを政争の場に悪用し、あるいはまた、明治・大正時代の我利一辺の資本家を攻撃するような態度で、白を黒と曲言する向きもありますが、奉仕を信条とするわれわれにとりまして、誠に遺憾至極であります。


 もとよりわが社は、株式会社でございます。株式会社である以上は、採算を無視するわけにはまいりません。すなわち、合理的の利潤を追求することは、株式会社の使命であり、責任であるからです。
 にもかかわらず当社は、税金の問題一つをみても、いかに誅求に堪えてきたか、こういう陰の力持ちは、殆んど世人には、理解されておりません。
 いうまでもなく、ヘルス・センターの入場料は一二○円(新遊園地施設三○円)で、少数のホテル部にお泊まりの方以外は、全部日帰りのお客さまです。こうした低額のお客から、入湯税を徴収するところが、果たして日本の、どこにあるでしょう。


 もしそれ、船橋だけというのなら、同じ船橋市内には、ヘルス・センターと同じ鉱泉を沸かして、温泉マークをつけて、センター類似の営業をしている所もありますが、このような所には、入湯税が課せられたとは、聞いたことがありません。
 してみれば、同じ市内でも、同一業種に対して、課税と非課税の両様があり、ヘルス・センターのみが、課税の対象とされているのであります。
 先年、市会が委員会を作り、日本全国の温泉場を調べた上で、新しい市条例ができましたので、税額も多少は低減されましたが、それでもなおかつ、箱根全山の温泉、並びにホテルの納める入湯税と、ヘルス・センターの納める税金とが、年々ほぼ同額であるという、この峻厳なる事実、こういうことを知った上で、ヘルス・センターの税金を云々されるのでありましょうか。
 いな、それどころではありません。


 たとえば、市との契約にかかる、埋立施行の諸条件のごとき、単に金銭による補償ばかりでなく、補償金の立替払いとか(これは結局、当社の負担に帰せられてしまいましたが)、その外にも一例をあげれば、対漁業組合関係の事業として、次のようなものもありました。
 1 漁業組合に対し二つの、合計五、○○○坪の船溜りを作って、これを無償で提供すること。
 2 漁業家の子弟の転業対策に協力すること。
 3 道路、公益荷揚場、橋梁等の寄付。
 4 山谷、海神の両ミヨ、湊町の船溜りの掘鑿工事の無料施行。
 5 ノリ培養期間中、毎年約六カ月間は、埋立工事を中止すること。
 6 砂防工事を行なうこと。
   その他等々。
 このようなことを、逐一列挙すれば、限りなく膨大な記述になりますが、これらに対して、当社の計算を離れた慮りと負担した経費は、およそいかほど要したでしょう。

 いまこれについては、一切の書類や、一切の経費を発表したいのでありますが、スペースの関係で、ここでは残念ながら、割愛しなければなりません。


 次にこれも、全く根も葉もない悪宣伝でありますが、“ヘルス・センターでは、お湯を二度沸かして使わせている”という、いかにも悪意にみちた、営業妨害的な宣伝をする者があるそうです。こんなことは、冷静な第三者には、直ちにご理解ねがえることで、誠に事実を知らざるの、甚だしいものと思います。
 井戸は現在、三本ありまして、いずれも一、○○○メーターから一、六○○メーターの深さで、各井戸を合せますと、一日の湧出量は、数千石に上ります。温度は三十二、三度でありますが、この温泉には、平和島や亀戸と同じく、天然ガスに特有の、茶褐色の色があり、これを空気に曝しますと、一層その色が濃くなって、濁りがありますので、やむなくこれに、掘り井戸の清水を混ぜて、濾過機にかけて脱色し、それに適当の温度を加えていますが、それを目して、二度沸かして使っているというのでありましょう。


 全く、事実に反した、悪宣伝にすぎません。幸いに船橋海岸では、二千二百メーターで岩盤に当たり、五十度の温泉が湧出することが確実となりました。今これを掘鑿中ですが、これこそ当社にとり、大いなる福音であるばかりか、一切の悪宣伝を一掃することになると信じております。