<MSN産経ニュースより>


sankei

国際世論に耳貸さず?ダライラマの影響力恐れる チベット情勢で中国
2008.3.15 20:43
【北京=伊藤正】中国チベット自治区の区都ラサで発生した大規模な騒乱事件に対し、胡錦濤政権は、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世に扇動された分離独立運動グループの策謀とし、武力行使を含めた強硬姿勢で制圧する方針を明確にした。強硬手段は海外の批判を受け、北京五輪への影響も招きかねないが、独立運動の封じ込めは、台湾問題などにも通じる国策であり、自制を求める国際世論に耳を貸す気配は見えない。
1951年に中国軍が進攻して「解放」した後、共産党の対チベット政策は、毛沢東の社会主義化路線の下で、チベット人の反感を募らせ、59年3月には、大規模な暴動事件に発展、ダライ・ラマはインドに亡命した。
80年3月、胡耀邦・元総書記が主宰した工作会議で、自治区幹部へのチベット人大量登用、宗教、文化の尊重、経済支援強化など8項目の方針を決める。同年5月には胡氏がチベットを訪問、中央と現地の緊張関係は緩和された。


そうなんですよね。私が駐在や業務で行き来をしていた80年代はこの通りでした。


その後、チベット人指導者が頻繁に●(=登におおざと)小平氏らと会談するなど、中央とチベットとの関係は改善されたが、87年1月に胡耀邦氏が総書記を解任された後、ラマ僧らによる漢民族支配への抗議行動が断続的に発生する。
88年1月、チベット人指導者パンチェン・ラマ10世(全人代副委員長)が急死した後、ラマ僧らのデモに対処するため、党中央は胡錦濤氏を自治区書記に派遣、強硬政策に転換。翌89年春の騒乱事件にはラサに戒厳令を敷き、騒乱を鎮圧した。
胡錦濤氏は92年に党政治局常務委員に抜擢されたが、●(=登におおざと)小平氏はその理由の一つにラサ騒乱鎮圧を挙げたという。それ以来、チベットでは経済建設が進み、外国人の旅行も自由化するなど情勢は安定化していった。
こうした中で、ダライ・ラマ自身も数年前から、代理人と中国側との折衝を続けてきた。ダライ・ラマは独立要求を取り下げ、高度の自治権を求めたが、折衝は進展していない。中国側はダライ・ラマの影響力を恐れており、今回の騒乱発生直後、中国当局はダライ・ラマ一派の策動と非難したのもそのためだ。
中国は3年前、台湾やチベットなどの独立を非合法にした反国家分裂法を公布、独立運動への監視と弾圧を強化した。新疆ウイグル自治区では先に独立派への武力弾圧があったが、それに続く今回の事件は、民族独立運動の根深さを示している。既に他省のチベット人居住地区に抗議デモが飛び火してもいる。
中国当局は北京五輪を妨害するテロ行為を極度に警戒している。チベットの事件に強硬姿勢で臨み、国営テレビなどメディアも大々的に報道したのも、全国への独立派や現状不満分子への見せしめという側面もあろう。
しかし、89年の天安門事件を引き合いにするまでもなく、武力による民衆鎮圧には、国際的な批判を招き、五輪への影響も避けられない。それでもなお、中国当局が強硬姿勢を取るのは、共産党支配の権威を示し、分裂行動を封じることが国益との独善的な判断にあると思われる。
事態が今後どう展開するか予測できないが、仮にチベット人の反抗が拡大し、新疆地区にも波及することになれば、中国当局が天安門事件同様、武力制圧に出る可能性も排除できない。


いや~、まずいよなあ~。だんだんと…。
チベット問題の連鎖、労働者階級の貧富の格差、農村と都市部の貧富の格差等々暴動の拡大懸念はたくさんあります。