週刊アスキー http://www.ascii.co.jp/books/magazines/wascii.shtml
の記事でおもしろいものがありましたので、ご紹介したいと思います。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9


人は感情の生き物だ!

http://hiroc.blog.drecom.jp/archive/622

暑い暑い夏の日、場所はテキサス州コールマンという田舎町。ある老夫婦とその娘夫婦の四人が午後のひと時を過ごしていました。外は太陽がジリジリと照りつけ砂も舞うこの季節、自宅のテラスでゆっくりと冷たい飲み物でも飲みながらトランプでもするのが一番の過ごし方だと、四人の誰もが知っていました。ところが老人は「折角の娘夫婦の訪問だし、取りあえず言うだけ言ってみよう。誰も賛成するまい。」と「どうだい、これからアビリーンまでドライブしてカフェで夕食を取ると言うのは?」と三人に尋ねました。コールマンからアビリーンまでは53マイル(85キロ)もある上、あいにく老人の車はエアコンが効きません。 誰も賛成する理由がない提案のはずでした。ところが、現実に起こったことは…、誰もがお互いに「自分は行きたくない」と言えなかったばっかりに、四人は熱気でむせ返るテキサスの砂漠を、砂を浴びながら1時間30分かけてドライブし、どうということのない夕食を食べ、同じだけの時間をかけて自宅に戻りました。誰一人、口をきく元気も失って。何がいけなかったのでしょうか?善良なこの四人は皆自分たちが何をすべきか、何をしたいかを知っていたのに。


実は、我々政治に関わるものは、「サイレントマジョリティ」という言葉を使います。声なき声にこそ真実がある。みたいに言うのですが、今回目にした記事は、その逆なのですね。

雑誌の記事もその辺を書いていたのでおもしろいなあと思ったのですが、みんなが嫌だなあと思っていても、いい出せなくて流されちゃった。声の大きい人の言うことに流されちゃったということなのです。

さて、なぜこのようなことを書かせていただくかというと、「公」の仕事の中には、声の大きい人に流される傾向があるのが厳然たる事実としてあること。同時に、「市役所自体が声の大きい人」になっちゃっていることです。これが、無駄使いの元になっているのです。


例えば、事業そのものを書くと差しさわりがあるので書きませんが、20年から30年近く行っている事業なんて山ほどあります。それが、やめられない。のです。多くの市民の協力を求めて行っていて、担当者にも「惰性だろう、それって!!」って突っ込みたくなるような事業が山ほどあります。協力する市民は、「市役所に言われたから仕方なくやっている」くらいのスタンスしかないのです。そこを気づけない職員が山ほどいることに私は腹立たしいのです。


そういう意味では、以前、議会でも問題にされちゃった、アンケートをとった課は、ずっと良いですよね。本当にその事業が必要かどうか確認作業を行ったわけですから。(手法、内容は別として、全体的な趣旨は問題なしですよね)
とにかく、生涯学習はガンですね。異常です。船橋市は。