MSN産経ニュースより

新年の記事に相応しい、身の引き締まる思いの記事です。
全体を読みながら、下線を引き、コメントを入れさせていただこうと思ったのですが、全部に下線が必要でしたので、冒頭に書かせていただき、お読みいただければと存じます。


昨年あたりから盛んに議論されていることですが、多くの皆様が感じているのではと思っておりましたが、そうでもないようで、残念ですが、ぜひこの加地先生のご発言が多くの支持を得ていくようになれば良いなあと思います。


【正論】新しい年へ 大阪大学名誉教授・加地伸行 「徳育」あってこそ国は幸せ
2008.1.3 02:35

■順法だけでは道義心の再興はない
≪諸課題の根底にあるもの≫
謹賀新年。
年頭とあれば、雄大にして深遠な、未来への希望を語るのがふつうであろう。しかし、私は足元について語りたい。日本人の足が地に着いていないからである。「道は爾(ちか)きに在り。而(しか)るに諸(これ)(道を指す)を遠きに求む」(『孟子』離婁上篇)
昨年、私が経験したことから言おう。拙著が10年もかかって苦心して独自に訳したことばを、いとも簡単に剽窃(ひょうせつ)した者がいた。私はそれを指摘し批判した(昨年12月4日付本紙文化欄、大阪版は22日付夕刊)。
その者は、あろうことか、研究・教育を担う国立大学教授である。情けない。
これはほんの一例。今日の日本の最大課題は、国防でも社会保障(年金問題も含めて)でも経済活性化でも国会停滞でも石油高騰でもその他いかなる問題でもなく、ただ一点、諸課題の根底にある「道義」の確立である。それによってほとんどの問題は解決できるのではないか。
もちろん、道義の頽廃(たいはい)は今に始まったことではない。有史以来、心ある人々はこの問題を真剣に説き、その回復への提案をしてきた。遠まわりのように見えるが、その方法の一つが道徳教育であったことは言うまでもない。
そうした道徳教育の有効性がなかなか見えにくいのは事実である。しかし、有効性を問うことなく、道徳教育への努力が東西の歴史上、行われてきた。現代のわれわれもまたそれを行うべきである。
ただし、その方法や目標については、常に具体的に提案しなくてはならない。道義の回復を唱える単なる精神論では説得力がない。
約10年前から、私は大阪府人権施策推進審議会の委員を務めている。その一回目の出席において、私はこう発言した。「これまでの人権教育はまちがっていた」と。事務局、陪席者、傍聴者等を含めて50人はいたであろう満場が、しんと静まりかえった。息を呑んだ感じであった。そのような発言をした委員はいなかったからである。

≪人権を知るための基礎≫
私は続けてこう発言した。人権というような高次の思想・道徳は、年齢の高い者でなければ、真に理解することはできない。また、一般的道徳を身につけていなくては、そういう高次の道徳を実践することはできない。特に小学生には人権教育は理解が困難であるから、まず一般的道徳をしっかりと教育すべきである、と。
一般的道徳とは、日常道徳のことである。例えばゴミはその辺に捨てない、友だちとの約束は守る、信号に従う…等々。そのようなことを実践できてはじめて人権教育が可能であるとし、その連続上、私は一般的道徳教育を「人権基礎教育」と名づけ、まずそこから始めよ、と主張した。
それを受けて、大阪府教育委員会は人権基礎教育を試みつつあるが、高い評価を得られず、まだまだ十分ではない。小学生の学力テストにおいて大阪府が全国最下位から二番目というのは、人権基礎教育すなわち一般的道徳の教育が十 分でないことと、一定の相関関係があると私は思っている。
小中学校という義務教育段階においては、高度の道徳の教育は不要であるが、一般的道徳の教育は必須である。
にもかかわらず、文部科学省中央教育審議会の山崎正和会長は、個人の意見と断りつつも、道徳教育不要論を唱え、順法精神を教えるのみでよいとしている。

≪孔子のことばに学ぶこと≫
愚かな話である。こうした主張の誤りは、2500年前、すでに孔子が喝破している。
「之を道(みちび)くに政(まつりごと)を以(もっ)てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民(たみ)免(まぬ)かれて恥(はじ)無し」(行政を 法制のみに依(よ)ったり、治安に刑罰のみを用いたりするのでは、民はその法制や刑罰にひっかかりさえしなければ何をしても大丈夫だとして、そのように振舞(ふるま)ってなんの恥じるところもない)
法律は守るが法律に書いていないことは何をしてもいい、となるのが順法精神原理主義の危険なところなのだ。それはすでに、高学歴のホリエモン・村上ファンドらの行為にはっきりと出ていたではないか。だから、順法精神以前に、「之を道くに徳(道 徳)を以てし、之を斉うるに礼(規範)を以てすれば、恥有りて且(か)つ格(ただ)(正)し」-しぜんと法も守ることになると孔子は述べている。
古典のこうした知恵も知らない者が教育を主導するのであるから、我が国の道徳教育の前途はまことに困難であり、不幸である。
 (かじ のぶゆき)