気になる記述がありました。

 

MSN産経ニュースより

【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている 番外 (完)

2007.10.11 04:11

リスク共有が同盟の本質

ここに1枚のパスがある。2004年2月、バグダッドでやっとの思いで手に入れた身分証明書(ID)。たかがパスと笑わないでほしい。この1枚には当時の日本政府とそれを支持した日本国民の政治的決断の重さが凝縮されている。

 

3年前の少々やつれ気味な筆者が写っているこのIDは、当時イラクを占領統治していたCPA(連合国暫定当局)発行の公式身分証明書だ。グリーンゾーン(米軍管理区域)と呼ばれた地域内で仕事をするためには、極秘情報にもアクセスできる幹部職員用の「レベル1」パスが最低限必要だった。

 

今と比べれば当時グリーンゾーン近辺は平和なもので、ロケット弾の着弾や自動車爆弾の大爆発もせいぜい週1、2回程度だった。それでも、毎日の生活はピリピリしていた。われわれは何としても自衛隊・大使館に対するテロの脅威と米軍の軍事作戦に関する情報を集める必要があった。

 

当時の日本大使館員は誰も「レベル1」を持っていなかった。いや、正確にはもらえなかったのだ。このパスがなければ検問所でボディーチェックを受ける。入手できる情報も限られた。理由は簡単、われわれはCPAにとってまだ「同盟国」ではなかったからだ。

 

そんな状況が一変したのは04年2月、サマワに陸上自衛隊部隊が到着してからだ。

 

晴れて「連合国の一員」となった日本の外交官に対する待遇はその時点から激変する。ボディーチェックは免除され、筆者はCPA幹部会に毎朝出席できるようになった。機微な脅威情報へのアクセスが向上し、詳しくは書けないが、大使館の警備体制も格段に強化された。

 

今もそうだと思うが、当時のイラクでは情報がすべてである。CPA参加国はお互いを守り合うのが原則だ。だからこそ、危機に際し、貴重な情報は傍観者ではなく、あえてリスクを共有しようとする勇気ある者にのみ与えられる。なるほど、これが同盟の本質なのだ。

 

ところが、04年7月にCPAが解散して日本に帰ってくると、こんな当たり前のことが当たり前ではなくなる。

憲法上の制約がある日本では、武力行使をしないというバグダッドでの例外中の例外が大原則となる。同盟の本質である相互防衛義務はタブー扱いされるのだ。

 

日米安保条約では日本有事の際、米国は日本防衛義務を負う。日本に米国防衛義務はないが、米国に施設区域を提供するので、日米同盟の双務性は最低限確保される。

国会答弁の世界ではこれで何の文句もない。

 

しかし、何か重要なものが欠けている。それはリスク共有という同盟の本質である。筆者のイラクでの個人的体験に照らせば、リスクを共有しないシステムが緊急時にうまく機能するとはとても思えない。

それどころか、日本はいま、リスクの共有を放棄しようとしている。11月1日にはインド洋の海上自衛隊補給艦が撤収する。国際的に高く評価されたテロ特措法は内政上の理由により延長できない。対テロ国際協調を政争の具とする内向き姿勢で失われるのは、日本に対する信頼なのだ。

 

いつまで続く「軍事音痴」

誰も考えたくないことだが、ある第三国が日本を標的にするとしよう。

 

日本の近くで紛争が起き、在日米軍を含む米国が介入し、第三国の死活的利益が失われる場合だ。第三国は日本を攻撃せず、まずは米国を攻撃するだろう。

 

集団的自衛権の行使を禁じられている日本が参戦できないことを知っているからだ。米戦闘機は撃墜され、米艦船も沈没する。それでも日本は武力行使をしない。いや、できないのだ。

 

米兵士が毎日何百人も戦死していくが、日本は米国のために戦わない。米国世論は爆発するが、日本人にはその理由が分からない。日本は巻き込まれないから、いいじゃないか-。逆に、日本では嫌米感情が沸騰する。この瞬間に日米同盟は機能を停止する。

 

これこそ、第三国が最も望む「攻撃せずに日本に勝つ」方法である。

 

何でこんなことになるのか。日本で同盟の本質が理解されていないからである。その最大の原因は日本人の「軍事音痴」症候群だと思う。

 

過去の歴史を振り返ってみると、日本は軍事力を使うべき時に使用を躊躇(ちゅうちょ)し、使うべきでない時に使用している。筆者はこのように軍事力が何たるかを知らずに武力を使用・躊躇することを「軍事音痴」と呼んでいる。

 

その典型例は「武器」アレルギーだ。1990年の湾岸危機で、日本は多国籍軍に対し物資協力・輸送協力を行った。

 

しかし、なぜか武器の供与・輸送は行わないと決めた。このため、当時、筆者も米軍関係者から「われわれに武器とそれ以外の物資を分別しろと言うのか」などと散々嫌みを言われたものだ。

 

これが前例となったのか、周辺事態法だけでなく、テロ特措法、イラク特措法でも、日本は米軍など諸外国の軍隊に対し武器を提供・輸送しないようだ。

 

そうかなあ。筆者のバグダッド感覚はちょっと違う。そもそも軍隊とは武器を使用する組織だ。同盟国軍隊を助けると腹をくくったなら、武器提供など当然ではないのか。武器以外の物資を提供するのは良くて、武器提供だけが駄目な理由は今もって不明だ。

 

日本が輸送した武器を米軍が実戦で使った途端、日本の武器輸送は米国の「武力行使と一体化する活動」となり、憲法が禁ずるとされる集団的自衛権の行使になるというが、それは武器以外の物資でも同じことではないのか。湾岸戦争での日本の財政負担はそれを象徴している。

 

こうした不思議な議論がまかり通るのは、今もこの国に軍事への根深い不信があるためだ。

 

戦後日本では長い間、「平和=非軍事」だったから、軍に関するものは米軍、自衛隊、軍事同盟を問わず、すべて忌避された。

 

国会では内閣法制局長官が「他国の武力行使と一体化」しない世界を創造し、現実に即したシビリアン・コントロールを議論する機会を封じた。

 

憲法上の制約という原則は生き残り、日米安保の双務性を例外とする扱いは変わらなかった。

 

現行憲法がある以上、同盟の諸原則に対し憲法上の例外が存在することはある程度仕方がない。しかし、現状のままでは日米同盟はうまく機能しない。日本人は軍事音痴を克服し、防衛義務は双方向という新原則の下、その例外を考え始めなければ、生き残れない。

 

(寄稿 宮家(みやけ)邦彦)

宮家氏は1978年外務省入省。日米安保条約課長、中東アフリカ局参事官を経て一昨年退職。現在、立命館大客員教授、AOI外交政策研究所代表。53歳。

 

もう20年近く前ですが、中国で天安門事件がありました。その頃、私は中国の駐在を終え、日本側の事務所で中国のホテル事業をサポートする仕事をしていました。あの時は雲行きが毎日毎日時間単位で変わっていったのですが、当時、私の弟も湖北省の武漢市の大学に留学をしておりました。

 

会社の方でも、日本人スタッフをどうするかと日ごと、時間ごとに考えていた記憶があります。そんな中、64日の武力鎮圧によって、様子は一変しました。今のようにインターネットなんてありませんから、テレビのニュースが情報源でした。それらによって、日本人スタッフのうち、女性スタッフを帰国させようということになり、それらの作業に入るのと同時に、弟にもしかるべき準備をするように電話をした覚えがあります。

 

そのときです。弟は、情報入手もなかなか難しかったでしょうし、北京からは遥か彼方という感じで離れていましたから、あまりピンとこなかったのかもしれません。が、そうこうしているうちに連絡があったときは、香港に避難するということでした。その内容が、「あ~そういうことかあ~」でした。

 

アメリカ合衆国政府が、国費留学生のためにチャーター便を飛ばしてくれるから、それに乗せてもらうよ。ということでしたが、乗れるかどうかの順序は、米国政府国費留学生、その他のアメリカ人、第二次世界大戦の同盟国の序列に従ってその各国の人たち、そして、更に席に余裕があったら、日本人、だったのです。

 

最終的には無事乗ることができ、香港経由で自宅に戻ってきたことを覚えています。そして、その航空運賃を外国送金をした記憶があります。送金先はホワイトハウス。金額は通常の武漢-香港間の通常の料金を米ドル換算した金額だったような気がします。というように世界規模でものごとを捉えたときには、「同盟国」って大事なんだな。敗戦国は敗戦国。敵国だったのは敵国のまま。国際関係というのは、日本人の得意のなあなあの関係や現在の友好関係よりも、優先される関係があるんだなあと。

 

ですから、今も国際貢献の問題をメディアで見るたびにハラハラします。特に今回のテロ特措法などは気になって仕方ありません。政治マターですが、政党間の政争に使われてはたまりません。

 

このニュース記事は、少々趣旨が違うかもしれませんが、まさに「平和ボケ」の日本がいまだに続いていることが信じられないのです。これだけ海外旅行に行く人たちが増えていて、海外の様々な事情に接すれば、いかに日本が平和で、「軍隊」アレルギーがひどいかがわかるはずです。

 

中国にいるときには、軍人さんが偉くて、堂々と制服で街を歩いていました。まあ、今の守屋前事務次官の問題の表面化の直後ですから、自衛隊のことを書くのは少々気が引けますが、でも、現場の自衛官の皆さんには何の罪もありません。日頃から我が国の防衛のために、過酷な訓練を重ね、「もしも」にいつでも対応できるようにしてくださっています。災害時などに対応してくださるのも自衛隊の皆さんです。それなのに、あたかも悪者のように扱おうとする勢力がまだまだ存在することが理解できません。