地球温暖化対策が重要なのか?という気持ちです。松島みどり国土交通副大臣のアンデルセン公園での都市緑化祭での挨拶の中に、地球温暖化の話が出ていました。過去50年間で都市部で年間平均気温が何度上がったとか、郊外ではどうだとかいう話でした。

地球温暖化対策?COP3が京都で行われてから、随分と騒がれ始めたわけですが、言葉が汚くて申し訳ありませんが、くそみそという感じです。

この際、これに乗じてという感じの事柄が多いような気がします。ブッシュ大統領の京都議定書の非支持に見られるように、その前に国益ありきのような気がするのです。まず自分たちの生活の確保があって、そして、地球規模で頑張りましょうということのような気がします。更に言えば、大上段に構えて、地球温暖化などといわず、日本国内の都市部温暖化の防止策を講じること。イコール地球規模だなんて言いたくありません。そもそもおかしいのは二酸化炭素排出権の売買なんてあるなら、これってビジネス?なんなの?って感じです。

決算委員会の資料請求をし、「船橋市地球温暖化対策地域推進計画(素案)」をサッと目を通しました。危ない感じがします。他に書籍も読んでいますが、どうも「環境問題」には胡散臭さを感じます。「環境」という言葉を錦の御旗か葵の御紋のように使う方がたくさんいますが、「アンタわかってんの?」って聞きたくなるようなこともあります。

先般も、町会でごみ処理場の見学をしました。ごみを捨てるための作業をする。ごみを捨てるための余計な仕事ができている。「環境ビジネス」なることばもあるように、環境はビジネスになるという感じです。

「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」武田邦彦著 洋泉社では、いろいろと興味深いことが書かれています。

ごみを燃したりすることによるダイオキシンの被害のことを一時猛烈に言われていたわけですが、ダイオキシンは安心というのが定説であることや、地球温暖化で頻発する故意の誤報のことなどが書かれています。


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例えば、朝日新聞の記事を引用して「地球温暖化騒ぎ」の元になったということで記事が紹介されています。198411日の記事で、


50年間に3度気温が上がるということになっているが、記事が掲載された1984年までの50年間に地球の気温が何度上がったかというと僅かに0.2度だった。


いうようにメディアの問題もあるような気がします。


ネットで拾った記事ですが、(Wikipediaより)

温暖化対策は経済全体に影響を与えたり、石油・エネルギー関連産業へ直接影響を与えたりして、政治的な対立の根源にもなっていることから、政治的意図や利害に基づく考え方によって、温暖化に関する情報が操作されたり歪められたりする可能性が無い訳ではない。また、気温のデータなどは対象期間や観測地点により大きく変わるため、比較に適したデータを選べているかどうかという初歩的な問題もある。

受け取る側もメディアに流されすぎているのではないかとの批判がある。地球温暖化問題がさまざまな利害問題に広がっており、社会的にも重要性が増している中で、環境教育などを通して、温暖化やその影響、対策に関する正しい知識、基礎的な知識を身に付けさせるべきだという声もある。一方、市民レベルで地球温暖化への危機意識や環境保護意識が浸透していることに伴い、間違った知識の広がりや、温暖化対策の効果の誇張が増えることなどへの懸念も生まれてきており、情報リテラシーやメディアリテラシーの向上が必要だとされている。

「地球温暖化を言えば知識人」みたいに考える人が多いような気がします。