でしょう!!って思いました。

昨日私が気になった収入源のことを書いてくれています。

【記者ブログ】ニュースが無料で読める恐さ 池田証志

2007.10.3 02:45

このニュースのトピックス:池田証志の社会部遊軍記者ブログ

ニュースはタダでは作れません。人件費、取材費、交通費等々、様々なコストがかかっています。それが無料で読めるということは、誰かがそのコストを読者に代わって払ってくれているということです。その恐さについて、ネットでニュースを読む人は考えたことがあるでしょうか?

だから私は心配です。

今さらですが、新聞社は、企業や団体などからの広告料と読者の皆さんからいただく購読料を主な収入としています。広告料に100%頼っていない。だからこそ、広告料を払ってくれている企業や団体の悪口も書けるのです。

それが、収入の100%が広告料になったら…。スポンサー離れが恐くて、筆が鈍るのではないかという危惧が生まれるのは、常識的に考えれば分かることでしょう。

もちろん、真実を伝えるからこそ、読者に読んでいただけるわけで、読者が増えるからこそ、広告料がもらえる…という構図ではあるのですが、力関係が大幅に 弱くなるのは明らかです。新聞社の収入が100%広告になったら、極端な話、スポンサーに都合のいい記事しか書かなくなるかもしれません。

おっしゃる通りですし、気持ちも十分わかりますし…なのですが、現役記者さんのブログだとしたら、我慢して書かないでいただきたかった一言です(下線部)。でもその通りですしこれは批判でも何でもなく、頑張っていただきたいなあって思います。武士は食わねど高楊枝。

そして、国民全員がネットでだけニュースを読むようになったら、我々新聞社の収入はほぼ100%広告料になる可能性が高くなります。

いや~、ここの部分を旧態依然とした発想ではなく、現実を見据えた経営戦略を考えていただきたいものです。と偉そうなことを書いても、私だって現実を受け入れられない部分ってありますから、大変なことだと思います。しかし、いままでメディアがものすごい驕りのある姿勢で、新しいメディアの世界を見下していたでしょうし、自分たちこそ、日本を、世界を動かしているんだくらいは思っていたでしょう。すべての方がというのではありませんので悪しからずと思いますが、先般も友人の国会議員さんと夕食をともにしたら、もう本当にぼやいていらっしゃいました。赤坂の議員宿舎。あれだけめちゃくちゃ叩いていたみのもんた。自分の超豪邸の話が出てからは、一切話をしないとおっしゃっていました。「ひどいと思わない?」って言われてうなずくばかりでした。ですから、現場の記者さんを批判したり非難したりはしたくはありません。中にはダメな人もずいぶんいらっしゃいますけど。

でも、紙のニュースは、そのパワーは落ちつつあるのが現実だと思います。ですから気持ちは本当にわかるけれども、下記にもある「紙あってのネット」なんだろうかと「?」をつけざるを得ません。

言い換えれば、あなたがニュースを読むときに、だれかがそのコストを払ってくれているということは、その払ってくれている人にとって有利な、逆に言えば、あなたに不利なニュースが流れる可能性が高まるということです。

ネットでだけニュースを見る人は、その恐さに気づいているのでしょうか。新聞代を支払うのは、民主主義の基本となる国民の知る権利を守るために支払うべきコストである…という認識がないまま、「お金を払わなくてすむならその方がいい」とか「便利なんだからいいじゃないか」と安易に考えることは危険だと思います。

読売、朝日、日経新聞さんが共同でニュースサイトを立ち上げたのは、いろんな意味で産経新聞社にとっては脅威ですが、「ニュースを守るため」の一つの挑戦という意味で意味のあることなのでしょう。

産経新聞社は逆に、紙媒体とネット媒体を「車輪の両軸」と位置づけ、両者の消費者は別の人種、あるいは、両者には別の使命があって対立せずに補完し合う…というスタンスを取っています。これも一つの挑戦です。

ただ、今のところ譲れないのは「紙あってのネット」です。ネットだけでは目下、十分な収益を確保できませんし、公正中立な報道を担保する自信がありません(と私は思っています)。

心あるニュースの消費者の方にはぜひ、新聞の購読料は民主主義を守るための必要経費だと思って、新聞を買っていただければ幸いです。

まさにその通りだと思いますので、きちんとお支払いしたいと思います。でも、こういう時代になってくると、新聞社がプロバイダーと提携して、プロバイダー料金の中に含んでいただくとか、もう、ネット側へ歩み寄っていただく時期なのではないかと思います。前に書きましたが、僕は、最近テレビをどうしようかと思いつつあります。先般も落語に行ったら、そのライブ感にものすごく魅了されてしまいました。たぶんお笑いやバラエティーも大好きですが、ネットでオンデマンドで見ることがどんどん進化したら、いらねえな、テレビってって思っています。むしろ、ラジオの方が本当に充実してきているような気がします。

「新聞」という字があらわしていることがその使命だとしたら、もうその時代は残念ながら終わりつつあるような気がします。あるいは終わったのかも。

あの紙の、あの形態である必要性を見出せないのです。産経新聞は大好きな新聞ですから擁護したいけど、理由が見当たりません。でも頑張ってほしいなあ。