さてさて困ったものです。議会も終盤に入ってきましたが、以前ここで書かせていただいた、大人の方が子どもの広場で、遊具の問題により怪我をした…らしい問題で、まさに、らしいとしかいえない状況で、皆さんからお預かりした税金で800万円近い補償をして良いのだろうか。が、どうしても前に進まないのです。議案質疑を聞いていても、質問者が同じ疑問を持ちつつも、さてさて、最終日にはどういう結論に導くのだろうかと思います。まだ、常任委員会での審議がありますから、そこで、再度考えて、担当者の話も、もう一度じっくり聞かないと判断できる状況にあらずです。

そして、18日に上がる議案。訴えの提起自体は先般も書いたとおり、なんら問題がないのですから、議案賛成で、議案の理由に疑義ありで、本来の取り扱いは非常に難しいと思っております。訴えるのは、市役所の仕組み、監査委員の仕組み、議会の仕組みの3つの独立した機関の仕組みからその機能を考えたときは、監査委員が出した結果に基づいて粛々と手続きを踏んでいかなければなりません。そういう意味では、非常に明快で、市長の提出になんら異議を申し上げる筋合いでもないのです。

しかしながら、そこに至る段階の手続きが想定外であったため、一気に「議会の権威」に関わることになっているのです。またまた、奥歯に物の挟まった言い方で恐縮ですが、想定通りの監査結果であれば、市長も訴えない、議会にも上程されなかった問題なのです。それが、監査結果を見ると、この三者拮抗したバランスの上にいたものが、この監査結果によって崩れ去ったのです。正三角形だったものが、簡単に言うと、監査委員が頂点にたち、その両端の底辺上に、市長と議会がいるという図式なって固定されて止まってしまうのです。

今までの三者の関係は、正三角形がぐるぐる回っている状態だったのです。例えとしてわかりにくいのですが、まあとにかくデッドロック状態で別の転がり方をせざるを得ないのかもしれない状態です。何とも表現のしようがありません。

通常は、議案質疑のエントリーをすれば、再三書いているように質問取りがあって、そこで、お互いがハッピーになるような打ち合わせがあるのですが、訴えの提起を取り扱う担当課長さんにはお越しいただきましたが、質問趣旨が別のところにありますから、担当違いです。しかし、本来の担当の方はお越しにもなりません。ぶっつけ本番で行くしかありません。しかも、非公式に漏れ聞こえてくるのは、一切踏み込んだ答えをせずに、同じことの繰り返しになる雰囲気さえもあるようです。そもそも、今回の議案質疑のために調査依頼をした回答がそうでした。

調査依頼とは、我々が調査をしたい事柄があると、議長を経由して(議長名で)、該当する事項の資料の提出などを求めます。強制力はまったくありませんから、拒否することもできるわけです。しかし、この資料請求で拒否と言うのはよほどのことがない限りなく、各種資料の提供をしてもらえます。当然我々も興味本位や遊びではなく、市政発展のためにさまざまな努力をするために必要で依頼をするわけです。本来、拒否することもできるし、できたら表に出したくない情報等も、お互いの「呼吸」で取り扱っているわけです。ですからいただく側も傲慢にならずに取り扱いに気をつけるわけです。

ところが、今回の議案質疑に関して資料の請求をしたら、拒否という言葉ではありませんが、「協議の後回答します」という事実上の拒否をされてしまいました。くどいようですが、それがいけないことでも何でもありませんから、結構ですが、この事実こそが、前述した正三角形のぐるぐる回りをとめてしまった、大きな事実。

「あ」「うん」の呼吸。まさにこの三角形に必要な大切なものですが、ダメみたいです。さて、そうなると、どうなるかと申しますと、今回の船橋市の監査委員のとった行動は、市制施行70周年の船橋市の執行機関としてのその歴代市長の仕事を否定したこと。そして車の両輪のように議決機関として一緒に市政発展のために努力してきた先輩議員の仕事の仕方も含め、市議会誕生時からの市議会議員全員の今までの活動を否定されたことになり、その権威さえも否定されたことになるのです。法治国家である我が国のこの制度さえも否定してしまっているのですから、慚愧に耐えません。どうしたら良いのだろうという苦悶の数日を送っております。