というインターネットのニュースがありました。

8151333分配信 産経


高市早苗少子化担当相は終戦記念日の15日午後、東京・九段北の靖国神社に参拝した。

安倍晋三首相とほかの閣僚は政治信条や日程上の都合を理由に参拝見送りを表明していたが、高市氏は午前の記者会見で「私は1人の日本人として国会議員として、現在は閣僚だが、折に触れてたった1つの大切な命を国家のためにささげられた方々に感謝の思いをささげたいし、その御霊が安らかであるようお祈りしたいと思っている」と説明。さらに、「閣僚が靖国神社に行くことを外交問題にしてしまう勢力があることを残念に思う」としていた。


先般のニュースで、今回は閣僚の参拝見送りが言われており、なんと情けない内閣になってしまったのかと思っておりました。しかし、今朝のニュースで小泉前総理が、そして先ほど、高市大臣が参拝をなさったということです。超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の議員さんたちは従来通り参拝をなさったようですが。

高市大臣がおっしゃっているように、「1つの大切な命を国家のためにささげられた方々」がいらっしゃったからこそ、この国の今の繁栄があるのは間違いないと思います。

今の社会情勢や、政治の情勢、世界の情勢、あらゆる要素がまったく違うところにあったあの時代のことを、戦後の教育を受けた、この豊かになった社会しか知らない人たちが、あの頃のことを、あたかも悪かったように否定すること自体、悲しく思います。国と国との問題でもありますから、他の国がなんと言おうがかまわないと思いますが、自国のために命を落とした方々に感謝の心を持てないような国民は世界中からも笑われてしまうのは当然のことだと思います。

これらの近代史(現代史)は、まだまだ生存している方々がいるのですから、きちんと正しいことを教育の現場において後世に伝えていくことが、最も平和に暮らせる礎になると思うのに、どうして、違う方向へ、違う方向へ導こうとする勢力が存在するのか理解できません。

「従軍慰安婦」という言葉は特定報道機関の造語であることは有名な話ですが、私の支持者の中に、中国に親についていき、親がまさにそういう仕事をしていたという話を聞きました。思わず聞いてしまいましたが、まさに今風に言うと、純粋な民間のその手の事業者だったようです。もちろん、生業としてやっていて、強制的、軍がなどということはまったく無かったようです。「あたしゃあ、いつも、きれいに着物を着たおねえさんと一緒だったんだよ」って言っていました。

原爆の問題もそう、従軍慰安婦の問題もそう、戦争に関わる方の証言をメディアで取り上げるときは、編集なしにしていただきたいものです。編集する人の意図、番組を制作する人の意図など、その方々の意思が大きく反映されることにより、受ける側の主体性に任せられないものになります。

私が中国駐在中、何度「愛国心」ということを考えさせられたかわかりません。国益と国益のぶつかり合いが戦争であり、国益を突き詰めて考えたとき、「その国の国民の利益、国民の生活を守ること」になっていくと思います。そのとき、多少の生命の犠牲があっても、より多くの国民生活を守らなければならないとなったら、戦争という手段に訴えるしかなかった現実があるのだと思います。それは長い歴史が証明していることで、否定できないものだと思います。

ちょっと逸れましたが、メディアの戦争に関する証言に関わるものは、ありのままでぜひ報じていただきたいと思います。受け取る側が、それをどう斟酌していくかは、それぞれの受け手に委ねるべきだと思います。

久間前防衛大臣の発言。被爆者の皆さんに対してという話があり、最後は辞任をいたしました。ご本人もおっしゃっているように、長崎県人の国会議員がその痛みをわからないわけがないじゃないですか。国家国民全体の立場で、大局的な考えを述べればああなるに決まっています。終戦のときに私がこの世に生を受けていたわけではありませんから、もうこれ以上申しませんが、戦争を経験した方々の話を聞いて、「本当のところどうだったのよ」って話になれば、違う世界があるのです。また国の上層部ではまた違う世界があるのです。それを「平和」というたった2文字で表そうとする、「平和ボケ」一部報道機関には本当に心の底から怒りを覚えます。

「グローバルスタンダード」という言葉もだんだん死語になりつつありますが、世界の隅々まで日本人がビジネスで飛び回っている現代。どこで、どうやって死に直面するのかわかりません。しかし、「戦争はいけない」って言葉で言っているだけのことほど愚かなことはありません。生きるか死ぬかですね。世界は。