夜の9時過ぎに、ナンバーディスプレーには見知らぬ番号。出てみると「もしもし」と甲高い声。「えっ!!」と思ったら、「張安林です~」。びっくりしました。中国駐在中に僕の通訳を主にしてくれていた女性です。「どこにいるの今~?」の問いに「東京に着きました~」の答えで、あ~成田の市外局番だと思いました。だいぶ怪しい日本語でのやりとりで日程を聞き、「忙しくて無理だな~」と答えると、「今からどうですか~」との誘い。「じゃあ行くよ~」って成田のホテルまで車を飛ばして行きました。

お嬢さんと、自分の日本語の先生と3人で観光旅行に来ましたとのこと。彼女は、私が赴任を終えると、間もなくして南アフリカに渡りました。知人を頼って行き、その後、たいした時間もかからず旅行会社を興し、在南アフリカの中国人の旅行手配の仕事をする旅行会社を順調に経営していました。もうその段階で、時折かかってくる電話や電子メールで、「長谷川さん、私は家を買いました」「長谷川さん、私はトヨタの車とBMWの車を買いました」という話を聞き、あ~成功したんだ~って思っていました。それから何度か日本へ行きたいというので、「おいでよ~」って言っていましたが、なかなか実現できずにいました。

「南アフリカのパスポートをとりました」という連絡があったり、「香港へ行きます」なんて連絡があったりしていましたが、そのうちに「ニュージーランドに移りました」って連絡があり、何ヵ月後かに家族でやっと日本に来て食事をしたときは、ご主人も子ども2人も連れて来ました。

そもそも一人っ子政策で子どもは一人でしたが、南アフリカへ移住してから、2人目の子どもをかなりの高齢出産で生んでいるはずです。今回はその南アフリカで生まれたお嬢さんを連れてきたのです。

で、近況を聞くと、すごい。南アフリカで経営していた旅行会社は妹に任せてあるので、当然ですがオーナーとしての収入があります。ニュージーランドでも旅行会社を経営していましたが、これは売却。当然売却益があるようです。南アフリカでもう一つ事業を始めたとのこと。彼女の口癖だった「当ててごらんなさい」(この日本語だけは妙にうまい)に僕の答えは、「宝石屋!!」ピンポンでした。ダイヤモンド専門店だそうです。0.3キャラット以上を南アフリカで仕入れて、香港で仕入れた台座と組み合わせ加工して、在南アフリカ中国人と観光できた中国人に売るそうです。これは従姉妹夫妻に任せて、これまたオーナーとしての収入があるそうです。

じゃあ、「今は何をやってるの?」って聞くと「庭の手入れが大変で」との答え。「ってことはおうちは大きいの?」の質問に、「はい」との答え。なるほどねえ~。「じゃあベンツ??」って聞くと、「はいベンツです」。あ~なるほどねえ。


「ご主人は?」って聞くと、「株をやっています」との答え。「どれくらい?」って聞くと、日本円で年間約1,400万円位の利益だそうです。なるほどねえ。完全にお金持ちだねえ~。って感じ。そして、「故郷の西安にもマンションを2つ買いました。それから、もう2つ買いました。それは妹にあげました」「は~?あげた?」って思わず聞き返しました。「はい、治安の悪い南アフリカで苦労して会社をやってくれていますから」だそうです。「そう~!?」って思わず感心しちゃいました。

ってことで、ホテルでのコーヒー代も払っていただいてしまいました。あ~あ。一緒に働いているときは、日本円で5,000円位の給料だったんですけど、すごいですねえ。それよりなにより、中国自体すごいですね。彼女の日本語の先生は定年退職をしたそうですが、もう今は、完全に自由に海外へ観光旅行に出ることができるそうです。我々が駐在しているときは、まだ中国出国自体が難しく、パスポートの作成さえも簡単ではありませんでした。それが今は非常に簡単なようです。だいたい、恩師を海外旅行に招待しちゃうこと自体すごいことでもありますが。本当に驚きです。

パスポートの話もおもしろいのです。我々日本人は、何気なくパスポートを作成し、使っておりますが、世界的に見て、これほど便利なパスポートはないのです。世界中どこでもいけるパスポートです。当たり前と思っていらっしゃると思いますが、例えば、中国パスポート。自由に行き来できる国に限りがあったのです。というより、その都度、相手国の大使館などの在中国公館で査証(ビザ)の申請をしてそれを取得の後、出国しなければ相手国に入国ができないのです。私は中国人の日本での米国査証の手続きとかもお手伝いしたことがありますが、それはそれは手続きが煩雑です。

だからこそ、張安林さんは、最初に努力をして、南アフリカパスポートを取得しました。パスポートの取得イコール国籍取得ですから、これまた大変ですが、日本以外の国で国籍取得要件が割とゆるい国を中国人は知っていて、移住をするのです。彼女の場合は、確か一度、南アフリカで命に関わる危険な目に遭ったので、ニュージーランドへの更なる移住をしたのだったと思います。

このように、移住はしても、中華民族として、「人種」としての誇りや国への思いはきちんとしながら生活をしていますから、世界中に「華僑」としてどんなに小さな町でも中国人は散らばって生活しています。その相互扶助システムはこれまたすごいものがあります。「印僑」「華僑」はやはりすごいですね。