東京で2月24日に私が歌います、

シューベルトの「冬の旅」の解説を昨日いたしました。

「大曲、冬の旅に取り組むということ」(こちらの記事です)

 

これから各曲の解説に入ろうと思うのですが、

公演までに24曲、全曲について書く時間はありませんので、

主だったものを上げて、少しでも全体像が見えるようにしてみたいと考えています。

 

 

まずは、私のThe Voice Project Youtubeチャンネルに唯一録音が上がっております。

15曲目 Die Kröhe 「カラス」の解説から始めてみようと思います。

 

こちらです。

 

 

悲しいメロディですよね。

この悲しさが琴線に触れます。

 

こちらは昨年、2023年の10月に地元ストラスブールで演奏した時のライブ録音です。

 

 

 

昨日も解説しましたように、

冬の旅は最初から最後までこんな感じでずっと悲しいのですね。笑

 

 

こちらの動画にもあります歌詞の日本語訳は

私自身の作成した意訳です。

 

あの街を離れてから今日まで、

俺の旅路にずっと

一羽のカラスがついてくる。

俺の頭上を行ったり来たり

まるでお供でもするかのように。

 

カラス。不思議な生き物よ。

俺から離れたくないのか?

いつか、そのうちに、

俺の遺体をついばめる時がくるとでも思ってでもいるのかい?

 

もう、この旅もそれほど長く続きはしない。

カラスよ、せめてその時、墓に辿り着く時まで

俺から離れないでいておくれ。

 

 

主人公が恋にやぶれて住んでいた街を追われ、

森や村々を彷徨い歩く、その旅路を描いたのが「冬の旅」ですが、

この曲にくるまでの14曲でいろいろな情景があり、

悲しみ、嘆いてきた主人公ですが、

そこにふと、

旅路に出て以来、どこにいるときも、

なんだかんだいってカラスを目にしてきた事に気付く。

そういうシーンです。

 

 

一羽のカラスがずっと街からついてくる。

俺の頭上を行ったり来たり。

 

と主人公は言いますが、

もちろん彼がずっと同じカラスであることを確認して、

「あいつがついてくる!」と主張している訳ではありません。

 

雪の降りしきる森や山道を歩き続ける中、

気付くと必ずその辺にいるカラスに、

「ああ、お前はずっと俺についてきたんだな」

と、少し冗談まじりに、旅の孤独を紛らわすように、

語っているのです。

 

 

そこには、雪に覆われた森の中での完全な孤独を癒してくれる

カラスの存在への小さな愛情と、親近感があります。

それが最初のメロディーなんですね。

 

 

しかし、人生そのものに完全に絶望している主人公。

二番目のセクションですでに感情的に振り切ります。

 

カラス。不思議な生き物よ。

俺から離れたくないのか?

いつか、そのうちに、

俺の遺体をついばめる時がくるとでも思ってでもいるのかい?

 

 

そのカラスが自分が旅路で倒れて死にいくのがわかっていて、

「お前はその時を待っているんだろう?」と言うのです。

 

(動画0:38秒から  0:58まで)

 

なんてこった。笑

 

 

 

あとは、主人公の独壇場です。

 

次のフレーズ

「この旅路ももうそれほど長くは続きはしない」

 

というのは、

俺はもう疲れ果てていて、これ以上は歩く力も残っていない。

もうじき行き倒れる(死んでしまう)。という意味です。

 

 

そして最後は、

カラスよ、せめてその時、墓に辿り着く時まで

俺から離れないでいておくれ。

 

と叫び散らして曲は終わりです。

 

この言葉には、心身ともに疲れ切った主人公がこのまま道すがら倒れて死んでしまうことを受け入れる気持ちと、

自分の周囲にいる唯一の生き物であるカラスに最低限の心の安定を求め、すがるしかない両方の気持ちが含まれています。

 

 

 

うーん。普通に詩として秀逸ですよね!

 

描かれている感情の機微、その数の豊富さ(カラスに対する愛情、シンパシー、そのカラスに食われる残酷、人生への絶望、死を受け入れる気持ち、etc..)

感情的な爆発的な盛り上がりと、タイミング。(これをたった1行で表現するシンプルさ)

最後の爆発と。

 

この詩人ヴィルヘルム・ミュラーは学校の先生で、権威ある文壇に属している人物ではなかったので、詩人としては軽く見られている。

というか、シューベルトの歌曲以外では完全に無視されている詩人なんですが。

 

いや、これ本当にいい詩じゃねぇ?

っていう。笑

 

当時のドイツの文学の層の厚さ、レベルの高さがうかがえるというものです。

 

 

 

他の歌手の演奏を是非聴いて頂きたかったのですが、

何故かyoutube のリンクが直接貼れません。

 

なので、ここからはマニア向けです。

 

Winterreise, D911: Die Kräheヨナス・カウフマン

現代のオペラキング、ヨナス・カウフマンの演奏です。
 
カウフマンの声と連続して聞くと自分の中音域は大分きらびやかですよね。
最初のメロディーはカウフマンのほうが一音一音を歌っているのに対して、
自分の歌い方はフレーズを流すように、かなりレガートに歌っています。
 
どちらが、このカラスに対する小さな愛情と、孤独感が出ているでしょうか?
うーん。俺のかな?笑
00年代の歌曲キング、トーマス・クワストホフの演奏です。
 
どちらの声が孤独感を表現できているでしょうか?
いや、俺のほうが表現できてるよなぁ。
というかクワストホフの声には何のキャラクターもないですよね。
どっちかというと疲れてる感は出ていますが、多分表現からではないです。
なんか「全ての母音がちゃんと鳴ってます」という世界観。
ちゃんとできてるもん。的な歌だよなぁ、フワストホフ。
 
2つ目のセクションで、「俺の遺体をついばめると思っているのか?」と言うところの表現も
クワストホフは明らかに単にクレッシェンドしてるだけなんですよね。正確な母音を発声しながら。
 
 
もっといいのを探しましょう。
同じ00年代のボストリッジ。多分期待できます。
 
 
大丈夫です。ちゃんと孤独感伝わってきますよね。
この人は本当に知的な人間で、音楽的解釈においても信じられないぐらい緻密に歌い分けるのに、
ちゃんと声自体も感情と情景を表現できてますよね。
やっぱりリートを聴くならボストリッジを聴いとけば間違いないという感はあります。
 
でもやっぱりボストリッジと交互に聴いても自分の声のきらびやかさに驚きます。
(師匠に感謝)
 
二番目のセクションに関しては自分の場合普通に、言っていることを表現しているだけですが、
ボストリッジは超複雑です。
やりすぎ感はありますが、これだけ有名な人がCDを出すのに
(当時はCDだった!)
人と違うことをしなくてはならいという多少の縛りがありますから、
それはしょうがないのかもしれません。
 
ここでフリッツ・ブンダリッヒなんかを持ってくれば
自分の声よりもきらびやかなテノールが聞けるのかもしれませんが、
まあ、そこまではいいでしょう。
 
というか多分、ブンダリッヒの「冬の旅」の録音なんかない気がします。
自分は聴いた覚えがまったくないです。
 
 
最後に王道中の王道、フィッシャーディカウを貼って終わりにします。
この人は単に自分の神様です。聴かなくてもどんな風に歌ってるか知ってます。
っていうか、自分は真似しかしていません。笑
 
またよろしくお願いします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
後記、知っていたのに最初のフレーズを聴いて、今、泣いてしまいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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