今回東京で演奏します、「冬の旅」は

言わずと知れたシューベルト最大の歌曲集です。

 

歌曲集というのはわかりにく表現かもしれませんが、

この作品は24曲の歌が一つのストーリーになっておりまして、

通して歌うとだいたい70分になる大曲です。

 

シューベルトには、この「冬の旅」と

もう一つ有名な歌曲集で「美しき水車小屋の娘」がありますが、

この2曲ともに、70分を要する超難曲です。

 

ですので、これに挑戦するというのは歌手にとって一世一代の時で、

これが存在するクラシック音楽のレパートリーの中でも

最大の(最高の魅力を含む)数少ない名曲であるにも関わらず、

これ全曲をまとめて聞く機会はそれほど多くはありません。

 

(他にこれに比する名曲がいくつあるでしょうか、

バッハ、ロ短調ミサ曲、

バッハ、マタイ受難曲

ベートーヴェン、ミサ・ソレムニス

 

歌物に限ってですが、3曲だけじゃない??

 

他に

モーツァルト、魔笛

ロッシーニ、ミサ・ソレムニス

ベートーヴェン、An die ferne Geliebte

バッハ、ヨハネ受難曲

シューベルト、美しき水車小屋の娘

マーラー、さすらう若者の歌

メンデルスゾーン、エリア

など、ないことはないですが、いずれもちょっと欠点もあるというか、

賛否両論を呼ぶ部分があり、誰もが最高と認める訳ではない、

または大曲というには小ぶりかというところです)

 

 

 

そんな大曲「冬の旅」ですが、

これは曲の最初に、ある男が恋に敗れ、住んでいた街を出るところから物語が始まり、

後は、森を、村を彷徨い続け、最後までの恋の苦しみを歌うだけの内容になっています。

 

ストーリーとしてなんと単純!!

ただ70分間、苦しみ、嘆き、悲しむだけという!

 

こういうドイツ語圏の文化の「執拗さ」というのは、「

我々日本人にも、フランス人にも、なかなか理解し難い世界なのですが、

この執拗さゆえに、同じこと「失恋の苦しみ」を24の異なる視点から捉え(24曲ありますから)、

さらにさまざまは色合いをもって描き切るという、

金字塔を打ち立てているのがこの曲です。

 

 

なんでそんなに悲しい必要があるのか?

人生はそのままでも十分に難しく、

苦しみを避けるだけでも大変だというのに!

 

と言いたくなっちゃいますよねぇ。

 

 

しかし、割とそんな心配はいらないんです。

 

ドイツにはSchadenfrohという言葉ありますが、

これは「他人の不幸を喜ぶ気持ち」のことです。

なんとあけすけな単語でしょう!

 

しかし、嘘をついてはいけない。

誰もがこのSchadenfrohを心の中に持っているのです!

(断言)

 

 

 

このような「悲しみもの、嘆きもの」「メランコリーの芸術」というのは、

自分よりももっと不幸な人間を設定することによって、

「あ、俺はそこまでは迷ってないな。

俺の人生もそこまでは苦しくねぇか。

ああ、でもわかるよその気持ち。。」

なんて、この人物が自分よりも不幸だからこそ、

なぜかとても優しい気持ちになれる。

 

そういう効果があります。

 

 

今回、2月24日の東京でのコンサートでは、

前回に引き続き、私自身の作成した

各曲の意訳を朗読してから歌を歌うので、

ドイツ語がわからなくても、

一体、私が何をそんなに嘆き、喚いているのかが

わかることと思います。

 

そのようにして、この「悲しみもの」を楽しんでいただけたらいいなと考えております。

 

 

もう一つ、下に貼りますフライヤーの方にも書いたことですが、

この作品の絶妙なところは、

その徹底した、執拗なまでの悲しみへの耽溺のなかで、

後半には少しずつ、認めたくはないものの、

生きることへの希望を見出す瞬間がたびたび訪れることなのです。

これは悲しみの心理描写として、絶妙だと思うんですね。

というのも、人間どんなに悲しく、酷いことが起こったときでも、

ホンの小さな瞬間に希望や、悟りに近い静かな喜びを見出すことがあり、

そして、それがまた数秒で去っていく、

ということを体験するもので、

それが最終的に苦悩からの脱出のところまで繋がっていくものだからです。

この曲ではその過程をしっかりと、絶妙なタイミングで見せてくれ。

最終的には、ただ生き抜くことへの高い価値を認識する主人公を描いているのです。

希望としかいいようがない。

 

コンサートまでに全てはまずできませんが、

次回から各曲に関する解説を書いていこうと思います。

 

 

またよろしくお願いいたします。