読売新聞北海道版「平成回顧」第1部(7)生きる舞台 創設 | 参議院議員 長谷川岳 オフィシャルブログ「長谷川岳 強い北海道をつくる!」Powered by Ameba
2019-01-10 19:10:19

読売新聞北海道版「平成回顧」第1部(7)生きる舞台 創設

テーマ:ブログ
読売新聞北海道版で30年を振り返る企画として新年から連載されている「平成回顧」。
長谷川岳参議のインタビュー記事が昨日の朝刊に掲載されました。

 

[平成回顧]第1部(7)生きる舞台 創設(連載)=北海道 

◇1992年6月13日 「YOSAKOIソーラン祭り」
 平成初期に誕生し、今や国内外にも知られる一大イベントへと成長した「YOSAKOIソーラン祭り」。学生のエネルギーが行政や企業を動かした成功事例となったが、開催当初は苦労の連続だった。北海道を代表する祭りをゼロから生み出した原動力について、創設者で当時北大生だった長谷川岳さん(47)に語ってもらった。
 メイン会場を大通公園にすることにこだわりました。これは狙い通り、踊り手の意欲をかき立てたようです。開催時期はお盆や収穫祭と関係のない6月としました。こうした組み合わせが平成という時代に適合したのだと思います。
 <「街は舞台だ」を合言葉に1992年(平成4年)6月13日、記念すべき第1回の祭りが開幕した。参加したのは10チーム、約1000人。大学や専門学校、企業やダンススタジオなど多種多様な団体から踊り手が集まった。ソーラン節のフレーズに合わせて、鳴子を手に街中で舞を披露した>
 最初は10チーム集めることだけが目標でしたが、ハードルを上げました。将来それぞれのジャンルから10チームずつ出れば、100チームになる。先を見据えて戦略的に進めました。
 知られている通り、ルーツは高知市のよさこい祭りにあります。大学2年だった91年の夏、がん治療で高知市の病院に入院していた母を見舞いに訪れた時、初めて観覧しました。母は余命6か月でした。その現実を突き付けられた時、病院の外では1万人以上の踊り手が躍動していた。相反する光景に人の生死とは何なのかと思った。「生きている自分」を表現する舞台を作りたいと思いました。
 元々何かを企画して実行するのが好きなたちで、高知を訪れる直前の学園祭では仲間とカレー店を出し、結構な利益を上げた。その時のメンバーも後に、YOSAKOIソーランの実行委に加わってくれました。
 <北大や藤女子大、北海学園大など学生による実行委が発足したのは91年12月。半年後の開催に向け、準備が始まった>
 1300万円を目標に資金集めを始めましたが、3月半ばになっても35万円しか集まっていなかった。視界が開けたのは、太平洋フェリーさんが100万円の提供を決めてくれてから。他の会社を紹介してもらうなどして3週間で一気に目標を達成できた。
 大通公園沿いの道路の使用許可を得るのも大きな課題でした。道警の窓口に何度足を運んでも「学生の祭りには許可は出せない」の一点張り。最後はデモ行進に準ずる形で何とか1車線を空けてもらいました。
 同時に、高知市の有力チーム「セントラルグループ」に参加を要請し、調整を続けていました。よさこい祭りを見たことのない北海道の人たちに、本場の踊りを見せることが成功につながると確信していたからです。
 夜遅くまで続いた会議ではメンバーと顔を突き合わせて意見を交わしました。だからこそ強い人間関係が築かれ、困難を乗り越えられたのだと思います。
 <祭りの規模拡大に伴い、学生の運営団体とは別に98年、支援団体の組織委員会が発足し、全体を取り仕切っている。長谷川さんは第15回を最後に運営の一線から退いたが、その後も祭りは発展を続け、第27回となった昨年は276チーム、約2万7000人の参加があった>
 祭りは時代に合わせて変化してきました。近年はアジア圏からのインバウンド(訪日客)も増えている。こうした動きも取り込み、新しい形になっていけば面白いですね。(佐藤純)(第1部おわり)

 

 
 

 ◇はせがわ・がく 1971年、愛知県春日井市生まれ。北海道大経済学部卒。YOSAKOIソーラン祭り組織委員会専務理事を経て、現在は参院議員。

 

写真=YOSAKOIソーラン祭りの生みの親・長谷川岳さん(鷹見安浩撮影)

 

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