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アナウンサー、会社経営者として働く日々とダウン症候群のある娘との日常ブログです
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つまり、日本の学校では、障害児が分離され、通常の教育を受けにくくなっているとして、国連から日本政府に“分離教育”をやめるよう要請がなされたと言うのです。
今更ですが、日本では、障がいのある子どもは明らかに特別支援学校や、特別支援学級に行くようになっている(分けて教育している)のは周知の事実にもかかわらず、日本は“分離教育”と認めない風潮がありました。
我が家も、ダウン症候群という知的障がいのある娘を地域の小学校、中学校で育って欲しくて、小中一貫校なら長くお友だちと共に成長できると期待し、今の学校を選び、近くに引越しました。
ところが、実際にはインクルーシブ教育とはほど遠く、入学式から特別支援学級は別々に入場し、写真撮影さえも別々だったことに、入学初日からショックを受けたことを思い出します。
(1ヶ月前まで同じ保育園・幼稚園で皆んなフルインクルーシブだったのに…と涙が出ました)
そこから、通常学級で過ごす時間を少しでも増やしてもらおうと、当時の担任の先生(通常級、特別支援学級それぞれの)や、主任の先生(通常級、特別支援学級それぞれの)と、話し合い、校長先生にも掛け合い、週一回からスタートし、約4年間かかって、やっと毎日通常級で給食の時間など一緒に過ごさせてもらえるようになった頃には、既に女の子たちは仲良しグループ化が始まっており、娘が中に入って行くのは至難の業でした。(あの環境では私であっても無理です。結果、娘は四年生の後期から通常級には行かず、毎日を支援学級で過ごすようになりました。)
学年で出かける移動教室(宿泊学習)も、支援学級は分けられていたため、校長先生に何度もお願いして、通常級のお友だちと一緒に行かせてもらったこともありました。
(前例のない事をお願いしたり、無い制度をゼロから、マイナスから作り上げていくのは大変な労力とストレスがかかりました)
ところが、先生が変わると、途端に『元に戻ろうとする力』はとても大きく、スピードも速く、あっという間に元の分離教育に戻ってしまい、娘のあとに続く人はいませんでした。
せっかくの小中一貫校ですが、中学校に上がってからも通常学級と一緒に過ごす機会はほぼ無く、この子どもたちの掛け替えのない時間が、本当にもったいなくて、残念で仕方ありません。
時には、先生に受け入れる気持ちもスキルもない中、無理矢理に娘を通常級に入れる訳にはいかず、断念したこともありました。
(先生方の経験やスキルを積める環境が残念ながら日本には無いのも現実です。)
悪気はないのに、差別的な発言や、偏見、決めつけが沢山ある先生方も、度々見てきました。
現場ではなく管理職の立場にある先生ほどです。
私は、娘には社会の一員として、ただ、同じ年頃のお友だち皆んなと一緒に教育を受けさせたかっただけなんです。
どうしてこんなにも難しいのでしょうか。
悩み続けていた時、ふと、こんなに頑張り続けなくても、逃げたら良い、環境を変えれば良いこともあると思ったんです。
私自身、アメリカの高校で学んだ経験があるため、娘にも、もし娘が望めば、特別支援学校も特別支援学級もない、インクルーシブな教育環境にある海外の学校で教育を受けられる選択肢を作ってあげたいと思いました。
少しでも可能性があるならばと、海外にまずは短期留学で様子を見て来ようと思ったんです。
(中学校に上がるタイミングを考えていましたが、コロナ禍でキャンセルになってしまい、ようやく今年行くことが出来ました。)
環境を変えたり、子どもの選択肢を広げてあげられるのも、親が出来ることの一つです。
とはいえ、アメリカ本土には、未だ人種、アジア人差別的な環境があることは事実です。(私も高校時代、少なからずハンディを感じていました)
娘には出来ることならそんな思いはさせたくなかったので、
多様な人種が集まり、日本人へのリスペクトもある、ハワイという場所にたどり着きました。
現地の学校を沢山見学させて頂きましたので、少しずつご紹介させて頂ければと思います。
以下、ご参考までに。
色々考えさせられる記事です↓
https://nordot.app/937182926907359232?c=899922300288598016