あれから20年。

あまりの恐怖に、今も同僚と必死に逃げた当時のことを鮮明に覚えています。


2001年、新卒でJPモルガンに入社した私は、初めて本社のあるニューヨークでの研修中に「9.11アメリカ同時多発テロ」に遭遇しました。


Evacuation(避難)!
ウォール街にサイレンが鳴り響き、辺りは瞬く間に真っ黒な煙に飲み込まれてしまいました。

テレビはもちろん、ラジオもインターネットも機能しないという、こんな経験は初めてでした。

一切の情報が入ってこない中で、誰もが恐怖に怯えていました。

徐々に人々は“World War“と叫び始め、「戦争」という言葉が飛び交う中、
覚悟を決めた私は、こんな世界が大変な時に、本来なら側に居たかった日本の両親に、これまでの感謝の気持ちを伝えなければと電話をしました。

(ちなみに、母親は当分このことがトラウマのように、電話が怖い、毎年9月11日になると涙が出ると言っていました。)

すると、この日本への電話を通して、リアルタイムで日本のニュース番組で報道されていた内容を知ることになったのです。

これは戦争ではない。テロだ」と…。

「大変なことになる、マンハッタンから逃げなければ!」

そう思った私は、日本から一緒にトレーニングに参加していた同僚と二人で、やっとの思いで辿り着いた建物の中にいたにもかかわらず、
再び外に出て、煙の中を歩きました。

実は私は、小、中、高校と水泳部で、泳ぎに自信があったので、本気で泳いでマンハッタン島から出るつもりでした。
今思えばかなり無謀ですが、当時はそれしか思い付かず、無我夢中でバッテリーパークへ向かって歩いていました。

運良く、民間の救助ボートに乗せてもらうことができて、ニュージャージーへ渡れたのですが、

その時、

だんだん離れていくNYマンハッタンをボートから眺めながら、情報の大切さを噛み締めました。

人々を混乱にも安心にも導く可能性のある報道、事実とジャーナリズムについて、初めて強く意識した瞬間でした。

私はニュースを受け取る側から、伝える側になりたいと思うようになったのです。


NYでの研修を中断し、帰国した私は色々と悩みながらも、転職を決意。

翌年から、放送局でアナウンサーとして働き始めることになりました。


人生、本当に何が起こるか分からないものです。

だからこそ、今を大切に、家族や周りの人を大切に、一日一日を大事に生きなければならないと思っています。


20年が経ち、この出来事を知らない世代、子どもたちも多くなりました。

私は、この体験を語り継ぎ、大勢の犠牲になった人たちがいること、大切な命が無差別に失われてしまったこと、その代償の大きさを伝え続けていきたいと思っています。


世界情勢は緊迫化する一方ですが、

いつか世界平和が訪れる日を待ち望み…

9.11の犠牲者に追悼の意を表します。