044あしや温故知新VOL44 芦屋の人間灯台

 

 「人間灯台って何の事か知っているか?」初めて聞いたのは小学校のころだった。

 

  このお話は今や伝説になっていますが、実話です。

 

 現在でも芦屋市立美術博物館に、その記録と観測日誌が保存されています。

 

  奥池の近く、ごろごろ岳には、かつて「剱谷森林気象観測所」がありました。この観測所で、昭和10年(1935年)から昭和48年までずっと、神戸営林署技官の池野良之助さん(故人)が、25歳の時から気象観測していたのです。

 

 この「人間灯台」は多くの登山者には有名でした。ゴロゴロ岳にはいくつかの逸話が残っています。

「ゴロゴロした石が多かった」、「雷鳴のゴロゴロが由来」、中には「五郎~五郎~と別れた子どもの名前を呼ぶ母の声」などもあった。

 

 そんな有名人の池野さんを訪ねてゴロゴロ岳に行く人もいたらしい。私も、ゴロゴロ岳に登った時に引率の先生と一緒に池野さんに会ったことがあります。

 ゴロゴロ岳に登ると大きな鉄塔があった。その下に古民家があり、そこにおられたと思います。

 

「剱谷森林気象観測所」は六甲山地の雨量や温度、風の向きや速さの調査と山火事の見張りなどが行われていました。観測所は、海面からの高さが565.6m(震災後は低くなって565.3mになりました)以上もあり、電気も電話もなく、飲み水も池の水を利用していました。

 

 池野さんはこのような場所で、芦屋市を観測し続けました。日誌には、山の上から見た芦屋の気象状況が記録されています。

 

昭和13年(1938年)の阪神大水害の際は、家も道路も濁流に呑み込まれ、埋まった芦屋の様子を記録していました。この記録は、その後の水防活動に有効に活かされています。また、戦時中の昭和20年(1945年)5月から8月にかけての阪神大空襲の模様を克明に日誌に残されています。

 

芦有道路が完成し、やがて電灯が引かれる頃、池野さんは昭和48年(1973年)に38年間の気象観測所での仕事を終え、63歳で山を下りました。私たちのまちを見守り続け、「人間灯台」と呼ばれた池野さんの日誌には、山火事を防いだこと、山でケガ人を手当てしたり、道に迷った人の誘導、美しい六甲山地の植物や生き物のことが記されています。六甲山地への想いが一杯詰まっているこの記録は芦屋市美術博物館に残されています。

 

 地元の児童文学作家、故吉田達子さんは池野さんをモデルにした小説「六甲の灯」を2002年に出版しています。

 数年前にあの場所へ行った仲間がいました。阪神大震災で観測所の鉄塔(望楼)は崩壊していますし、あの頃の様相は見られません。しかし、そこから覗くと芦屋の景色が見られました。

「人間灯台」池野良之助さんが今でも気象状況や街の様子を見守っているようでした・・・・。

 

ありがとう!「人間灯台」池野さん!

【参考文献】

芦屋市史 昭和31年 本編・資料編

芦屋市史 昭和46年 本編・資料編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38年

芦屋の里 島 之夫 昭和4年

阪神間モダニズム 納屋 嘉治 平は成9年

芦屋の生活文化史 民俗と史跡をたずねて 昭和54年 芦屋市教育委員会

芦屋市教育委員会50年誌