妻のお母さんが亡くなりました。
危篤と言われて2週間、不死身の生命力を見せてくれました。
病院に搬送も考えましたが、回復する見込みがなく、高齢者施設で看取りを選択しました。
昭和3年5月28日 2月16日2時48分
享年95歳
心不全、腎不全
マイライフ芦屋のみなさん。
最期までありがとうございました。
葬儀は家族葬で行います。
尾道高等女学校卒で学生時代に広島の原爆投下後に看護学生として3日後に広島市に入ったことは教えて貰いましたが、詳しくは聞かないまままでした。
ご本人も話したくないようでしたし、、、。
岸田康子さん。お母さん、
お疲れさまでした。ご苦労様でした。
長い間、ありがとうございました。