034あしや温故知新VOL.34 打出天神社

 

  私自身はこの地域で生まれ、打出天神社の氏子でもあります。


 古い芦屋では打出は天領として、阿保親王塚や金津山古墳などが打出の地にあり、古くから伝説が多く残っている地域でもありました。


  打出天神社は太平洋戦争(大東亜戦争)で、本殿はじめその多くを焼失したため神社の古記録は失われています。


 それがために神社の創建は明らかではありませんが、古来、産土神を祀っていたものを、天神信仰が盛んになり、天神さま(菅原道真公)を勧請したのではないかとされています。


  天暦元年(947)に北野天満宮に道真公が祀られてほど遠くない時期に勧請されたとされています。室町時代には北野社領(天満宮)の葦屋荘に記録がありますから、関係があったと推測されています。


  古くから打出天神社には「菅原道真」の紋 梅鉢(うめばち)単弁に梅の花を上から見た形を図案化したものが使われています。


  打出だんじりの提灯などにもこの家紋が使われていますので地域の人たちは長く、「菅原道真公」を大切に言い伝えているのは事実です。

 

 なぜ、この家紋になったかというと、諸説があります。学問の神様と呼ばれる菅原道真は梅を愛していた人でもありました。

 庭にある梅の木をとても大切にしていたと言います。


  平安時代の中で、右大臣という地位にまで上り詰めた道真はある日左遷され、九州の「大宰府」に追いやられました。


   都を離れなければならなくなった道真は、大切にしていた梅の木を想ってこう読みました。「東風(こち)吹かば にほひよこせよ梅の花 主なしとして 春を忘るな」

 

 「東の風が吹いたら、私のところにその香りを届けて欲しい。私がいなくなっても、春を忘れずに花を咲かせてください」と自分がいなくなったあとの梅の木が、咲かなくなってしまわないか不安ですから、香りだけでも風に乗ってきてくれたら、という切実な気持ちがよくわかるものです。


  梅が好きな菅原道真を表す紋として「梅鉢」が使用されるようになったと言われています。

   道真を祀った「太宰府天満宮」にも梅花紋が使用されており、道真が大好きだった梅がたくさん植えられ、天満宮を訪れる人に花の美しさと道真の心を伝えています。

    道真を祀った神社は全国にありますが、ほとんどが梅の紋を使用しており、打出天神社もやはり「梅鉢」の紋が使われています。

 

「梅鉢紋」の「鉢」は、家紋の中央(花のおしべのようなもの)が太鼓をたたくときのバチのように見えたことからその名が付きました。

    確かに、バチのように見えなくもないですね。毎年724日、25日は天神祭りをやっています。


   こじんまりしたお祭りですが、地域感溢れるこのお祭りは私が幼い時から楽しみにしているお祭りです。

 










【参考文献】

芦屋市史 昭和31年 本編・資料編

芦屋市史 昭和46年 本編・資料編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38

芦屋の里 島 之夫 昭和4

阪神間モダニズム 納屋 嘉治 平は成9年

芦屋の生活文化史 民俗と史跡をたずねて 昭和54年 芦屋市教育委員会

芦屋市教育委員会50年誌