広島原爆の日 8月6日
アメリカ海軍のインディアナポリス重巡洋艦。
1945年7月26日にテニアン島へ原子爆弾リトルボーイを極秘輸送任務を終えた。
同年7月30日フィリピン海で日本海軍の潜水艦、伊58(回天特別攻撃隊・多聞隊)に発見され雷撃により沈没された。
第二次世界大戦中に敵の攻撃により沈没した最後のアメリカ海軍水上艦艇だが、、、。
この巡洋艦によって輸送された原子爆弾は、、
1945年8月6日 広島原爆投下のカウントダウン。
テニアン島 ハゴイ飛行場。
エノラ・ゲイは、太平洋戦争末期に運用されたアメリカ陸軍航空軍第509混成部隊、第393爆撃戦隊所属のB-29の機名。B-29の中で原爆投下用の改造が施された15機の内の1機です。
ビクターナンバー82、機体番号44-86292号機。
1時27分、Mk-1核爆弾リトルボーイを搭載したB29エノラ・ゲイがタキシングを開始し、そして1時45分にA滑走路の端から離陸した。
搭乗員たちは爆弾の正体が何であれ、命令に従う、それが兵士の定めです。
エノラゲイB29の乗組員も同様だった。
記録では、、、、
6時30分、兵器担当兼作戦指揮官ウィリアム・S・パーソンズ海軍大佐、兵器担当補佐モーリス・ジェプソン陸軍中尉、爆撃手トーマス・フィアビー陸軍少佐らが爆弾倉に入り、リトルボーイの起爆装置から緑色の安全プラグを抜き、赤色の点火プラグを装填した。
機長の名前はポール・ティベッツ大佐(Paul W. Tibbets, Jr.)
四国上空で、日本軍局地戦闘機がエノラ・ゲイに射撃攻撃を行ったが、撃墜できなかった。
8時9分、エノラ・ゲイは広島市街を目視で確認した。
そして・・・・運命の時間。
8時15分17秒、原爆リトルボーイが自動投下された。
上空600メートルで強烈な閃光を伴って、炸裂した。
爆発に伴って熱線と放射線、周囲の大気は瞬間的に膨張して、強烈な爆風と衝撃波を巻き起こした。
その爆風の風速は音速を超えた。爆発の光線と衝撃波から広島の街は一瞬に廃墟と化した・・・・・。
そして、十数万人もの多くの人々の命を一瞬にして奪った。
人類の歴史上初めて核兵器が使用された米国による核兵器攻撃
今日はその日。
約14万人が死亡したとされる広島原爆。
広島市が現在も続ける「原爆被爆者動態調査事業」が、名前を確認できた死者数は約8万8千人弱。戦後78年たった今なお約5万人は名前も分かっていない・・・・
犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。
【写真】
米国重巡洋艦インデアナポリス
エノラゲイの搭乗員。
ポール・ティベッツ大佐