023あしや温故知新vol.23公光橋 (きんみつばし)


 謡曲に有名な「雲林院」という曲があります。雲林院というのは、京都の紫野大徳寺の南にあったお寺で、平安時代には淳名天皇の離宮だったのですが、後に寺となり、南北朝時代に荒廃したお寺です。

大正・昭和初期の頃に能の脚本にあたることを謡曲と呼ばれてきました。


 さて、その脚本の内容ですが、津の国芦屋の里に住む公光は、幼少の頃から「伊勢物語」が大好きでした。


  或る夜、不思議な夢に導かれて雲林院を訪ねると花の盛りと桜が咲きみだれています。 夢に見たままの美しさに一枝を手折ろうとするとどこからともなく老人が現れてそれをとがめます。


  二人は桜を詠んだ古歌を用いて花を折ることの是非を争いますが、結局、お互いの風流心を認めて仲直りします。公光が夢によって都へ来たことを告げると、老翁は我こそが在原業平であるとほのめかして夕闇に消えていきました。


 やがて夜になり、月は昇り、花の木陰で仮寝をする公光の夢に殿上人姿の業平が現れます。伊勢物語に伝わる「業平と二条の后の恋を物語」更に昔を偲んで雅やかに舞を舞いますが、いつしか公光の夢もさめて業平の姿は消えてしまいました。

 

  芦屋にはこれらの伝説から公光町や公光橋の名前が残っています。

月若公園の北側の道を少し西へ行くと、業平と公光の祠がまつられております。 

 

  謡曲「「雲林院」は、中学校の時に特別講師が来られて熱心な授業がありました。当然、こんな話が受験に使われることもなく生徒たちは熱心ではありませんでした。

特別講師の先生も地元のおじいちゃんでした。


 私はこの話の中にあった「恋の物語」に興味を持ってしまいました。

  在原業平自身も相当な身分ではありましたが、恋をした相手はさらにずっと上の身分にあたり、2人を会わせないようするのです。


 そこで和歌に想いを託して、「人知れぬ わが通ひ路の 関守は よひよひごとに うちも寝ななむ」(夜になったら番人が寝てくれたら、あなたの元に通えるのに)というのです。 


これは好きで好きたまらない禁断の愛の姿・・・日本版「ロミオとジュリエット」シェイクスピアも真っ青になろう。「これってラブレターを収録した本やんか」と。

  しかし、そんな話をしても男子たちは写真付き雑誌に夢中になっていました。


【参考文献】

芦屋市史 昭和31年 本編・資料編

芦屋市史 昭和46年 本編・資料編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38

芦屋の里 島 之夫 昭和4

阪神間モダニズム 納屋 嘉治 平成9年

芦屋の生活文化史 民俗と史跡をたずねて 昭和54年 芦屋市教育委員会

芦屋市教育委員会50年誌