018あしや温故知新VOL18   打出小槌町の名を惜しむ・・・

 

芦屋市打出小槌町


旧打出村エリアの町名の上にはすべて「打出」が付いていました。


打出浜町・打出若宮町・打出春日町・打出大東町などと呼ばれていました。

 

   昭和37年に町名を短くするために「住居表示に関する法律」が制定され、土地の地番とは別に、家屋などに番号をつける制度が実施されることになり、この法律に基づき、昭和43年に「芦屋市住居表示に関する条例」が制定され、同年5月から市街地の住居表示を順次行なったのです。

 

 もちろん、打出の文字が外され、当時私は芦屋市打出浜町に住んでいましたが、芦屋市浜町になりました。

 

 そんな中、打出小槌町は反対運動が起こりました。

「佐藤武英さん」が中心的な役割をなさっておられました。「この名前を残す事が芦屋市にとってどれだけの財産になるか・・・」「古きものがすべて悪しきものにあらず」議員になった当時、よく歴史の大切さを教えていただいた私の師匠です。

 私は打出小槌町を訪れる度に佐藤さんを思い出します。

2022年にこの佐藤武英さんのお孫さん、佐藤 洋平(さとう ようへい)氏にお会いすることになりました。なんとこの佐藤洋平さんは2007年にボストン音楽院卒業。ボストン室内管弦楽団音楽監督・指揮者として世界で活躍されておられます。お顔が武英さんに似ておられるので一目でわかりました。

「あしや温故知新」を書いていてこのような出会いがあったことに感謝をしております。

 

 話は元に戻りますが何故この地に打出小槌町が存在しているかというと諸説がありますが、昔、このあたりに小椎命(おうすのみこと:後の日本武尊)を祀った社なり祠があって、小椎を「こづち」と読み、後に「小槌」の当て字にしたのではないか?というものです。

 

この打出には金津山古墳があります。別名はこの古墳は黄金塚(こがねづか)または金塚(かなづか)とも呼ばれた伝説の古墳なのです。打出村の黄金などが埋められたという伝説も残っているのですから、「打出の小槌」を振ると「金銀財宝がざっく!ざっく!」もあり得えたことなのかもしれません。

 

市役所の看板は「打出の村人を愛した阿保親王が飢饉に備えてこの地に財宝を埋めたという伝説がある」と記載もあります。

 

地名といい現実に残っている古墳などの伝説を照合していると「打出小槌」が存在した理由が理解できますね。

 

【参考文献】

芦屋市史 昭和31年 本編・資料編

芦屋市史 昭和46年 本編・資料編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38

芦屋の里 島 之夫 昭和4

阪神間モダニズム 納屋 嘉治 平成9年

芦屋の生活文化史 民俗と史跡をたずねて 昭和54年 芦屋市教育委員会