010 あしや温故知新VOL.010「宮川の根性橋」

 

 宮川にかかる水道橋が昭和35年に完成しました。


「潮風水管橋」が正式名称です。

   独立水管橋という種類です。

 上に金属の板があり、これは歩くためではなくメンテナンス用です。

 

 小学校の低学年で、人が一人通るのが精一杯の幅約80cmほどの人道橋ではなく、水道管のための橋です。

 

 呉川町から西蔵町にまたがり かかっていますので、現在もその姿は確認できます。

 この橋の入り口は頑丈な扉があり南京錠がかけてあります。

 私の小学校時代、近所の悪ガキたちは、この橋を通るのが「名誉」でもあり、少年少女たちの憧れになるほどのものです。

 

 通称名が「根性橋」だった。

 

 もし、転落すると6mは落下し、宮川の浅い水深では大怪我は免れません。

 さらに、この橋は人を通すためのものではないので危険であったため、近所のオヤジ達に通過するのを発見されると「怒鳴られるどころか・・・。殴られる」

   この時代の「オヤジ」たちは威厳があったし、少々の悪さは見逃してくれる大らかさもあった。ですが、子供たちが危険であるとすると「めっちゃ怖かった」ものです。

 

 さて、この「根性橋」は大抵の近所の悪ガキたちは小学校5年か6年、 すごく早くて4年生が初渡りして、「周りに一人前として認められる」のが通例でした。

 

 低学年で挑戦するには相当の・・・それこそ、根性と度胸が必要だった。

 

  私の幼馴染は小学校2年生で挑戦しましたが、途中で怖くなり立ち往生して大騒ぎになった。

ここを通る度に思い出してしまう通称、根性橋。

 

台風21号に被害なあい、嵩上げされていますから撮影は難しくなりましたが、嵩上げした堤防から見えないだけで現存していますので、是非ご覧になってください。

 

昭和3612日の呉川町後ろに根性橋が見えています。(写真)

芦屋市史 昭和31年 本編・資料編

芦屋市史 昭和46年 本編・資料編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38

芦屋の里 島 之夫 昭和4

阪神間モダニズム 納屋 嘉治 平成9年

芦屋の生活文化史 民俗と史跡をたずねて 昭和54年 芦屋市教育委員会

宮川小学校40年誌