はせ基弘アルアルNO 5 忘れない記憶


長谷キミヱ

昭和71932)年225日生 

令和32021)年52日没 午前88分享年89


死亡原因 「COVID-19」感染


 脳梗塞が原因で宝塚市で姉の介護を受けながら生活しておりました。


 コロナ感染がわかったからあっと言う間に重篤化しました。


 宝塚健康保健事務所の所長や課長らは重篤化した母を最優先といいながら、結局は病院が「満床で搬送出来ません」としか言わない。

4つの病院が管内管轄といいながら、最後は「宝塚市民病院と三田市民病院だけしかありません。」こんな回答をされても母の酸素飽和度、サーチは70を切った。


 「見殺しかぁ、、、。」その言葉が何度も頭に浮かんだ。


 兵庫県の病床利用率が各地域で、中等症以上の症状でも入院できない状態にあるのに、兵庫県ホームページでは429日現在、78.9%と公表している。

 実態は使えないベッド数まで入れて、見てくれの数値を未だに垂れ流しているのが兵庫県なのです。


 しかし、重篤化した母には人工呼吸が必要な状態になっていました。


 そして、このままだと「死んでしまいます。どうにかならないのだろうか?」必死でお願いしましたが、「こちらでは何とも出来ません」


 見捨てられた、、、。


 そして、母は酸素が不足し、意識を無くした。


 頑張ってくれてましたが、ついに力つき自宅で息を引き取りました。


 53日に宝塚健康保健事務所に再訪した。

 

 宝塚のホームページには母が重症化していたのに、重症者数には掲載されていませんでした。


 宝塚健康保健事務所でも、宝塚保健事務所管内で亡くなった事の掲載が見当たらない。


 理由を聞いたが、明確な答えがない。


 自宅で搬送されるのを待ったが亡くなった。   どこにも母が52日まで生きていたことがデータにはないのはおかしな事で宝塚健康保健事務所へ抗議した。


 すると、54日になって宝塚健康保健事務所から、兵庫県が記者会見をし自宅待機中に亡くなったことを発表すると連絡があった。

 

 速報がニュースで流された。

 母だけではなく、もっとたくさんの人が自宅で亡くなるだろう。


 宝塚保健事務所の職員さんが実は、お母様は高齢者で、助かる可能性が少なく、他の方を優先的にやった結果です。


 つまり、トリアージしていたのだと話し出した。


 やっぱりそれか、、。


 エクモも75歳以上は使わないし、65歳以上だと後回しになる。

 高齢者の場合、逆に症状が比較的軽い人の方が病院に入りやすいと言ってくれました。


 兵庫県はトリアージはしていないはずでは?


 落胆した。

 真実はこの経験をしたものでしか分からないだろう。


 亡くなって、、、。

 更に仕打ちが待っていた。


 自宅でのコロナ死亡のとき、火葬場に行ってくれる葬儀社もありません。

数社依頼したが、どこも受けてくれない。


 なぜなら、病院からだとエンゼルプランで消毒した後、納体袋に入れて病院から渡してくれるから安心だそうです。


 ですが、自宅で亡くなったりすると、消毒後とはならないから拒否すると説明された。


 厚労省のガイドラインは何と病院で亡くなるケースであって自宅で亡くなるケースは想定されていませんでした。


 15社に連絡しましたが、1社母が生前、葬儀はここでやりたいと会員になっている事を思い出した。


 そこに電話すると担当者が最初はやれないと言ったが、やれるかもしれないと言ってくれた。

 宝塚市なら、、。実は宝塚市、伊丹市にコロナ対策として防護服の使い方など研修をした職員が1人おり、実働スタッフもいた。


「お願いできますか?」

「はい!当社はまだ、全地域ではやれませんが、少しでも在宅でコロナで亡くなられた方をサポートしたいので、、」


 しかし、こんなルールがあると説明してくれた。


入場、骨上げは遺族4人までだ。理由が分からない。


 1530分以降の火葬点火で最後に回される。この火葬場通常の時間帯ではない。

最終の時間ならあくる日の引き取りが可能なのです。


しかし、コロナ感染死の遺族はその日に引き取りを義務付けられる。


納棺の際には納体袋の外側、柩内全体をくまなくアルコール消毒する。(飛沫を飛ばす遺体なのか)


 入場時、骨上げ時とも駐車場で待機し、職員の合図で館内に誘導される。(私たちは感染者ではない。中に入るな!なのだ)


 館内設備はトイレを含め使用不可。(これは不思議だ。トイレなど使用禁止の意味が理解できない)


 伊丹市火葬場は館内で車椅子利用者は自前か葬儀社が用意したものを利用する。(葬祭場の感染防止の観点から貸さないという)


こんな要求を火葬場から突きつけられる。

 

母はどう思っているのだろう。


 実際に花いっぱいの柩にしてやれないのか。火葬場から柩内の消毒をいわれている以上、花などは邪魔だろう。


しかも、柩はガムテープで隙間なく塞がれている。飛沫を飛ばす死者がいて、感染でもするというのだろうか?


 コロナ感染死をすると骨になるまで許されることはないのか?


ここまで、火葬になるまでもコロナ感染者なんだ!  誰か説明しろ!いい加減にしろ!

大声を出したくなった。


しかし、母は私のこの強行な姿が嫌いだった。


「母さんごめんよ」

「もとひろ、もうええよ!ええよ!」ときっと言うだろう。


 でも、納得なんか絶対にしない。


 みんなに優しく、笑顔が最高だった。


 いつも、いつも私を心配してました。

 どんな時も私の味方だった。

 私の家族の中心にいつも母がいました。

 年に一度の家族旅行が一番の楽しみだと言っていました。


 母より先に病気で倒れ、18歳で死にかけた私に「親より先に死んだら許さんよ。親不孝者になりたいか」

 その約束は守ったのだが、

普通だったらみんなに見送られただろう人気者の母。


「私のときは質素な葬儀でいい。」

「でも花いっぱいの柩がいいやろ」

「死んだら花見れないから、ええわ。」

 笑って言っていた母。


 この約束は守れない。


 可哀想を通り越した。


 もちろん、葬儀も直ぐにはやれない。

 

 お骨になった母を早く、父の元に届けるから

 芦屋市の実家に帰ろう。

 父との旅行の写真!大好きな孫やひ孫の写真を飾ってあげた。


助けてやれなかった。

これが悔しくて、悔しくて、

母さん!同じ思いをする人を無くすから、

二度と繰り返させない。 

それを誓ってお別れする。


長い間、ご苦労様でした。

あなたの子どもでよかった。


ありがとうございました。

そして、さようなら。さようなら。