はせ基弘アルアルNO3  大学生

高校3年は結局病院生活でした。

高校2年の終わり頃は受験勉強を始めており、受験する大学も決めておりましたが、病気で倒れその希望が叶えられることは無いだろうと諦めていました。
浪人生としてスタートするつもりでいました。

 しかし、担任の先生は推薦入学という手段があるとして、半ば強引でしたが大阪学院大学経済学部の入試を受けることになり、英語と小論文、面接がありました。

 4年間の大学生活はリハビリという側面もありましたが単位取得は経営学を中心に早々と卒業単位を得て就職活動。

 健康診断でどうせダメだろうと思ってましたが、数社の内定をいただき一番条件の良かった
株式会社大塚商会に入社できました。

 元々、理系大学に行きたかったこともあり、社内の褒賞規定であったものを利用し、大阪産業大学工学部へ編入学試験を受験して3年後、1988年3月同大学を卒業 (学士入学制度)しました。受験科目は数学III、物理、英語と小論文。

 編入学試験は難関でした。

 数学IIIは高校では数IIBまででしたから、同級生の京都産業大学理学部の友人を家庭教師として特訓をやりました。

 私は経済学部と工学部の出身ですが工学部で特に自動車工学、特殊車両設計では今でも卒業研究の論文は自画自賛してしまう内容で今までで一番勉強した時期を過ごしました。

 エンジニアとしての知識は物を形にする過程でその理論構成は考える時に助かります。
 一方で経済学部での卒業論文「地方財政から見る財政危機の打開策」は今の仕事に役立っています。

 もし、次に大学で学べるチャンスがあれば工学部でやり残した研究をしたい。
 
 シルクロード「タクラマカン砂漠」を単独走破可能な二輪車の設計と実車組立と実証をしたいです。

写真は大阪産業大学工学部学舎と大阪学院大学経済学部