「はせ基弘のアルアルNO2」

 私は報徳学園3年生の時、昭和51年5月10日に芦屋病院に担ぎ込まれで翌年1月10日に退院。
 8ヶ月を病院で過ごしました。

病名は腎不全。ネフローゼ症候群。

 大量のステロイド剤を使って命を取り留めましたが、、、。
 後にそれが原因でステロイド性大腿骨突発性骨頭壊死の難病になります。

 8ヶ月も入院してどうして留年しなかったのかですが、これは当時の担任の先生と校長先生の提案でした。

 朝から授業を受けに通学し昼には病院に戻る。
 出席日数はギリギリですから留年覚悟。
なんとも言えない提案でした。

 同年10月1日から入院生活と高校生最後の生活を開始しました。

 朝早くに父が病院まで迎えに来てくれ、帰りはタクシーで芦屋病院に戻るその繰り返しです。

 疲れ方は尋常じゃないのでステロイド剤を飲んでは横になる毎日です。
 その先にある目標は生き抜いてみんなと一緒に卒業するでした。
 
 これが俺の青春!高校3年生。
 こんな事になるなんて夢にも思わなかった。

 病室のラジオから流れる中村雅俊さん「さすらい」、イルカ「なごり雪」が心にしみる。