005あしや温故知新VOL.05「芦屋の伊勢町洋館建築物」 伊勢町にあった洋館
この3階から見る芦屋の浜の景色は最高でした。
次々と失われてしまいました。芦屋市の名建築もランドマーク。
阪神淡路大震災で再建不可能となったのが伊勢町にあった旧金川邸です。
いつかは再建しようと部材を保管しました。これを可能にしたのが「芦屋文化復興会議」という組織で郷土史でも洋館建築を主に研究していた歯科医師で現在、新潟大学歯学部教授の小野高裕さんです。
もちろん、精道中学校の先輩ですが幼い頃の浜芦屋町にあった「貴志康一邸」やその路地の風景の話をしたものです。
小野高裕さんの発議で、金川邸をいつか再現しようと計画し、部材の保存と設計図の保管を行ったのです。
私は芦屋市に交渉し保管場所を確保しこの金川邸を購入し解体する建築会社、鴻池組の協力で一大イベントとなりました。設計図の引き直しは神戸大学建築学科の教授が担当して、部材を丁寧にブルーシートに梱包しました。
壁を少し外してみるとステンドグラスが現れたりし、この建物の原型が段々と明らかにになりました。
まるで発掘調査をしているようでした。
長くこの金川邸を管理されていたのが長崎さんという方で、現地で昔の話を書き留めるそんな作業も行っております。
金川邸の多く部材は、山手緑地内にある旧藤井邸の蔵に多数丁寧に梱包され保管されています。
この緑地内にある蔵がそれです。
これは芦屋文化復興会議の皆さんが再建するための正確な図面やスケッチを神戸大学建築科の協力を得て行って現存しているはずです。
一方、山手緑地内にある旧藤井邸「松風山荘」は和洋折衷で、明治の建築家小川安一郎氏の設計ではないかと専門家は推察しています。
塔の部分以外は解体されフェンス囲いをされていますが、外側からも老朽化が激しく、朽ち果てるのを待つのみのような状態になり、今はこの値打ちを知る人も少なくなりました。
議会で何度か保存して欲しいと提案しましたが、断られています。
しかし、その傍らにあった蔵はしっかり建っていたので、旧金川邸の部材の保管状況はよいものと安心しました。
芦屋市民の心の財産でもあるこれらの建築物の再建が出来たら、きっと未来に芦屋の良さをバトンタッチできると考えています。
【参考文献】
芦屋市史 昭和31年 本編・資料編
芦屋市史 昭和46年 本編・資料編
芦屋郷土誌 細川道草 昭和38年
芦屋の里 島 之夫 昭和4年
阪神間モダニズム 納屋 嘉治 平成9年
芦屋の生活文化史 民俗と史跡をたずねて
昭和54年 芦屋市教育委員会