002あしや温故知新 VOL.02 南極観測船「そうや」のスクリューがある町  

 

 芦屋市西蔵町にある海技大学は

昭和204 海技専門学院官制(勅令第167号)の制定により海技専門学院管制が公布され、元神戸高等商船学校の全施設を継承して、高等海員養成所と特別海員養成所を統合し、船員の再教育機関としてスタートしました。運輸通信省告示第95号により、兵庫県武庫郡本庄村深江に海技専門学院が設置されたのです。


 昭和21122 再度の戦災により、校舎施設の全部を失った為、日本海運報国団の施設であった現在の校舎施設(芦屋)を借用しここに本部を移し授業を継承されました。

現在の海技大学です。

 

この海技大学には総重量5.800kg、直径422cm、製造年195257日の大きなスクリューがあります。   


 記録では「1952年(昭和27年)6月頃、改装された」とありますから、南極観測船時代ではなく、灯台補給船時代のものだと思われます。

  船名をひらがな表記にした「そうや」。

 南極観測船「そうや」は1956年(昭和31年)に改装された船舶です。

 

 実はこの「そうや」日本海軍で一番長く活躍した船です。

 

 日本海軍艦艇記録によると竣工 1938610 商船から特務輸送艦として海軍で活躍した「宗谷」その後に、灯台補給艦~南極観測船として「タロウとジロウ」も乗船した船でした。

退役は1978102 と記録されています。

 

1979年(昭和54)から、「船の科学館」前に係留され保存展示されています。

 

この「そうや」別名があります。

「奇跡の船」「不可能を可能にする船」「帝国海軍最後の生き残り」「灯台の白姫」

「そうや」今はその一部が芦屋市にそっと眠っているのです。

 

  昭和の歴史が西蔵町にあります。

 

【参考文献】

芦屋市史 昭和31年 本編・資料編

芦屋市史 昭和46年 本編・資料編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38

芦屋の里 島 之夫 昭和4

阪神間モダニズム 納屋 嘉治 平成9年

芦屋の生活文化史 民俗と史跡をたずねて

昭和54年 芦屋市教育委員会

南極観測船宗谷 

日本海軍艦艇記録