あしや温故知新VOL2477芦屋消防の汗と煙の消防署長(芦消その7)

 

 昭和614 消防長と署長の職制を分離した。


 七代消防長に井手秀雄,消防署長に父の長谷福次が就任して、消防本部の責任者は消防長、現場の責任者は消防署長となり、消防組織法に見合った形が実現しました。


 ある意味、父は一番やりたかったであろう。現場で汗と煤まみれの集大成を実現する最後の仕事に挑んでいた。


 後に天皇陛下から叙勲受賞した時、消防人として必要なことは過去も未来も変わらない。「生命を守る、災害を最小限に抑える・・」そのために消防力の整備に少しだけでも役に立ったのでそれを評価されたのが嬉しいという新聞記事になった。


 同年5 職員の昇任試験制度を導入した。年功序列でない能力評価のひとつとしてこの昇任試験を取り入れました。現在、芦屋市では昇任試験は導入していませんが、消防本部は実施しています。


 芦屋市消防年鑑では、平成7年(1995年)1月17日の記載がありませんが、

何があったかのかをいつかは書いていこうと思っています。


 阪神淡路大震災の折には父は既に、引退しておりました。

 しかし、私に言っていたあることを思い出していました。


「消防庁舎やけど昭和37年の建物で耐震構造になっていないこと、地震があれば消防車両の格納のため開口部が広く望楼などは危ない」と言っていたこを思い出していました。


 幸いも消防庁舎は無事でしたが、消防資機材を積んで走り回るための道路がいたるとこで倒壊した建築物に阻まれて、道路の破損と多数の救助要請で消防署は機能停止している状態でした。


 しかし、非常備消防の消防団と市民相互の協力によって何とか復興の道が少しづつですが進み今日の芦屋市になりました。 


 不安だった。芦屋市消防本部の庁舎は、平成213 新消防庁舎落成しました。この建築費用については「打出・芦屋財産区」会計から捻出されています。

 

消防奉職42年7ヶ月の父長谷福次元芦屋消防署長は昭和6年(1931年)81日~平成172005年)年29 享年74歳。

 

 消防の最終回は芦屋市消防のお話ですが、芦屋史話として父を中心にして書きました。

 

これで250回目の「あしや温故知新」の投稿となりました。調べている内に過去の投稿にもいくつか間違えを見つけたりしており、まだまだ書いておきたいことがあります。

一旦整理のために、1回目から手直したものを再度投稿します。「シンあしや温故知新」になります。ご期待ください。


(参考文献)

公益財団法人 日本消防協会発行

芦屋市史 昭和31年 本編・資料編

芦屋市史 昭和46年 本編・資料編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38

芦屋の里 島 之夫 昭和4

阪神間モダニズム 納屋 嘉治 平成9年

芦屋の生活文化史 民俗と史跡をたずねて 昭和54年 芦屋市教育委員会


芦屋消防の歴史年鑑