「阪神淡路大震災から15年・神戸新聞の7日間」その 櫻井翔さん主演


 阪神淡路大震災被災した多いの人々は、情報不足により不安がストレスになっていました。

 地元、新聞社としての使命もあったと思いますが、他社と大きく違うものがありました。


 社説の最後の文章は、

 「この街が被災者の不安やつらさに、どれだけ応え、ねぎらう用意があったかを、改めて思う」

 

 この社説を境に神戸新聞社は「何人亡くなったとかを1面に掲載せず、「希望や未来」の人間が強く復興に向かう記事を掲載することになった。

 

 私は当時も消防団員だったから解るが、「呼びかけに応答する人から救助せよ」の命令があったし、ご家族の思いは理解できるだけに、何とかしてあげたいのですが、救助作業は生存の可能性のある方を優先したのです。


 そのことで、非難の声を浴びせられることも少なくない。

 

 櫻井翔さんが京都新聞社に向かう途中、目撃した神戸の全景を見て

「神戸が・・・神戸が・・なんでこんなことに・・」

神戸が燃える。


 芦屋が崩壊してしまった。まさに、同じような思いだった。


 街の色が無くなってしまった。その意味は被災者でしか理解できないだろう。

  

 新聞記者やマスコミがカメラで写真を撮っていると、私も「人なら救助するのを先に考えないのか・・」

 そんなことを言ったことがあった。


 今となっては彼らの撮影した写真が残り、記録として大勢の方々に記憶されている。

お互い仕事ではあるのだが・・・・。

 私は当然のように彼らを嫌っていました。

 

この作品を見て、櫻井翔さんの台詞は当時の新聞記者らの真実の言葉であると思います。

 「そうだったのか・・・」彼らも人間だ。

  何を優先すべきか随分と悩んだだろうに。

 

 カメラのファインダーから覗いた町の景色を櫻井さんの息づかいで臨場感を高めています。

 

 ドキュメンタリータッチであり、櫻井翔さんらはその難しさを真摯に演じている名作だと思います。

 

つづく

次回最終回