あしや温故知新VOL243 黒川古文化研究所

 

 黒川古文化研究所は、二代目黒川幸七氏の収集品を中心とする黒川家所蔵の古文化財を、三代幸七・イク御夫妻が、調査研究と普及公開を目的に寄付し、昭和25年10月に芦屋市打出春日町34番地で設立された財団法人です。財団法人の認可は昭和25年(1950年)10月。平成23年(2011年)4月には公益財団法人に認定されている。


 その文化財は中国・朝鮮および日本の鏡・銅器・玉器・鈴鐸・古瓦・陶磁器・貨幣・書籍・絵画・経巻・刀剣とその付属品など広範囲にわたる考古美術資料で国宝5点、重要美術品70点を数える。(昭和38年時点)

土地建物は宅地1,420坪、建物の延床は279坪であり、基本金は50万円でした。

設立の目的は蒐集品を学術研究資料として活用しつつ保存を講じ、合わせて「広く中国と日本を主とした東洋の古文化を調査研究して、その正確な知識を広く世に普及して社会文化の発展に寄与する」で黒川古文化研究所を設立されました。

 

黒川家は、大坂の両替商から証券会社を起こした商家で、天保14年(1843年)京都に生まれた初代黒川幸七は、京都・大坂の商家に奉公し、文久年間に独立し両替商となる。明治11年(1878年)、大阪株式取引所開設にあたり、「黒川幸七商店」として仲買人となる。初代幸七は明治33年(1900年)にご逝去されています。

 

2代目の黒川幸七翁は明治4年(1871年)に二男として生まれる。初代である父幸七の没後家業を継ぐが、実際には先代夫人である「りう」が仕切っていたとされ、2代目幸七は美術品蒐集をもっぱらとした。2代目幸七は、中国の古美術品をはじめとして、墨、香木などを蒐集しています。

この2代目黒川幸七翁は、早くから東洋の古美術に深い関心を持ち、その後半生を恵まれた境遇と機会の元にあらゆる分野の遺品の蒐集に努めた。そのために関西における数多い収集家にあっても幅が広く豊富な蒐集を可能にしたのです。

敢えて翁は世の多くの古物蒐集家とは違って悠々自適、一人でそれらの古美術を鑑賞するのみで、他人に誇示するようなことが無かったために、昭和38年の記録では、「翁の古美術は一部の限られた人を除いてほとんどが世に知られていなかった」その晩年に遺品が増すにつれて、自らの鑑賞より研究に興味を持ち専門家に調査を依頼されたこともあった。

昭和1318日(1938年)に2代目翁はこの世を去った。

3代目の黒川幸七氏は本名木村福三郎。東京深川の米穀問屋木村徳兵衛の三男に生まれ、のち養子となり3代目幸七を名乗る。黒川幸七商店は大正7年(1918年)に株式会社黒川商店に改組し、この時、3代目幸七に家業を譲っている。昭和8年(1933年)10月の名物「伏見貞宗」の重要美術品認定時にはすでに3代目黒川福三郎での名義となっています。

昭和24年(1949年)、黒川商店は株式会社黒川証券に商号変更。

仏像を除くこれらの美術工芸品を継承した黒川幸七夫妻はその保存に力を注いだが新たに東亜文化を財団法人とすることとし、黒川古文化研究所の設立となりました。昭和251030日付けで許可を受け、翌年昭和26324日に開所式が行われました。

以後、毎年春秋の2回行われていた蒐集品展覧会と共に講演会があり、夏季講座も行われていました。

 

つづく