あしや温故知新VOL241 芦屋の水道のお話
大正末期になって精道村を給水区域とする上水道の計画が立案されたのですが、実現せずに終わり、その後は小規模な個人や組合組織によって簡易水道が各所に設けられ給水が行われていました。
昭和6年紙谷文次村長の時代に再び、村営上水道建設の機運が高まり計画が復活し、昭和9年3月の村議会で可決承認されました。
上水道布設事業認可の総工費は85万円、三ヵ年計画事業が着手されました。
昭和10年3月内務省から許可を得て5月18日、朝野の名士を招いて起工式が行われたと記録されています。
その後、一部計画変更や多難な工事にあって困難もあったが、2年10ヶ月の歳月を費やして、昭和13年3月31日竣工し、同年4月1日から給水開始しました。
しかし、同年7月5日の大きな風水害にあって竣工後間もなく水道事業に多大な損害を出してしまいました。
これが完全復旧したのは昭和17年11月だったのです。
また、昭和20年8月神戸大空襲を受け、更に被害が出てしまった。上水道配水系統も乱れに乱れた。
昭和22年・23年の両年にわたり戦災復興事業として配水管の移設拡充を実施し、昭和26年度から毎年、奥山浄水池の改良工事を実施することになった。
災害の次に戦争によって芦屋市の水道は危機を迎えています。
一方で、昭和13年3月竣工。奥山浄水池、給水人口約5万人 1日給水能力は8,250立方メートルが可能でした。
また、この奥山浄水池が当時の市民の水でした。
また、旧打出村は昔から良水が不足しており、川や井戸水によって需要を満していましたが、人口が次第に増加し、高所にあった六麓荘・朝日ケ丘では住宅建設が急速に増え昭和14年10月18日に六麓荘水源を使っていた六麓荘株式会社から水を精道村は水源を含む水を買収し、昭和15年市制施行とともに上水道の完備に力を傾注しました。
その後、給水区域も増加させ、朝日ケ丘町に市立芦屋病院や兵庫県警察学校が建設され、六麓荘水道をこれらに充てました。さらに剣谷に容量100立方メートルの配水池や排水管の延長工事を実施し、工費160万円をかけて昭和27年5月31日に竣工しています。
阪神上水道市町村組合は尼崎・西宮・芦屋の3市と神戸市の4市共同で構成する事業組合で日量36万トンの上水を供給していました。
各市は自己水源を所有していましたが、この阪神水道市町村組合の水源は琵琶湖で将来は・伊丹市、宝塚市・川西市・明石市を加えて阪神水道組合。昭和11年7月21日設立されたのが現在の阪神水道企業団の前身でした。
現在は、•神戸市・尼崎市・西宮市•芦屋市•宝塚市が構成メンバーです。
近年になって、明石市の人口増に伴って加入したいとの意向があるとされています。
この阪神水道企業団は今から考えると先を見据えた英断でしょう。現在は高度処理水を安定供給し、芦屋市民の水を守っています。
芦屋の水道キャラクター!アクリン
【参考文献】
芦屋市史 昭和31年 本編・資料編
芦屋市史 昭和46年 本編・資料編
芦屋郷土誌 細川道草 昭和38年
芦屋の里 島 之夫 昭和4年
阪神間モダニズム 納屋 嘉治 平成9年
芦屋の生活文化史 民俗と史跡をたずねて 昭和54年 芦屋市教育委員会