あしや温故知新VOI.01芦屋にあった映画館

「芦屋会館」通称アシカンと大森一樹監督。

 追悼編


 映画監督の大森一樹さんが12日午前11時28分、急性骨髄性白血病のため兵庫県西宮市内の病院でご逝去。享年70歳。芦屋市立精道中学校卒業。ご冥福をお祈りします。


芦屋会館。

  茶屋ノ町で昭和25年に開業された映画館で現在の県立芦屋高校西側の道路を北に上がったところにありました。


  勿論、封切館として名作の洋画、邦画が上映され、満席や立ち見が出るほどの市民の娯楽施設でもありました。


  トイレは大きな錘がついたロープが上下するのような開き扉でした。


   私は幼稚園から小学校低学年までは病弱で海輪小児科の帰りにこの映画館で映画を観るのが好きだった。


   片手に甲陽市場のパン屋近江屋のサンライズ

  もう片手には地元飲料水メーカーワンエースのミルクコーヒー


 父が仕事の帰りに迎えに来てくれるまでは芦屋会館、通称、アシカンで夕方まで過ごす事もありました。


 アシカンの経営者と父が親しかったようで、2階部分にある映写室から映画を見たり、映写室のおじさんから映画のお話を聞くのが好きだった。


  たまに、中学生か高校生のお兄ちゃんがノートを取りながら映画を見ていたのが微かに記憶にありましたが、芦屋青年会議所理事長時代に対談することになった芦屋出身の映画監督、大森一樹さんが実はこの中学生だった。


  精道中学の私の先輩でしかも、有名な作家村上春樹さんの後輩である事も知りました。


  大森監督も小学生の私が何をしていたのか不思議で映画好きな小学生に驚かれたようでその事を覚えておられたので対談はめちゃくちゃ盛り上がってしまいました。


  アシカンのような映画館を芦屋市に復活させ「若手監督や映像作家などを育てたい」そんな夢を語ってくれました。

  今から25年前、映画館で出会ったのは55年前だ。


私がアシカンで観て覚えている映画は

忍者部隊月光!かっこよかった。

隠密剣士では剣道に憧れた。

フランケンシュタイン対バラゴン!怖くてしばらくトラウマになった。

サイボーグ009。アニメ作品を始めて観た。

ドクトルジバコ。洋画で強烈な印象だった。

■007は二度と死ぬ。007は私のヒーロー。

勇者のみ。日本人とアメリカ人は仲良くなれる?て考え込んだ。

荒野の一ドル銀貨。主人公のジャンジュラ、ジェンマ?ジュリアーノか発音出来なかった。

他にも特撮映画や戦争映画。

私を夢中にさせました。


  一方、映画監督になった大森一樹監督は洋画がかなり好きだったそうです。


  勿論、東宝特撮シリーズなども好きだそうで、後に、ゴジラ対ビオランテの監督をされるエピソードが今も懐かしい。 


昭和451130

惜しまれながら、閉館し芦屋市唯一の娯楽施設は幕を閉じた。


みなさん!芦屋会館を覚えていますか?


 大森一樹先輩へ

 私はあなたの『満月 MR.MOONLIGHT』が好きでした。

 たくさんの作品をありがとうございました。

 そして、お疲れ様でした。


【参考文献】

芦屋市史 昭和31年 本編・資料編

芦屋市史 昭和46年 本編・資料編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38

芦屋の里 島 之夫 昭和4