あしや温故知新VOL235 芦屋市の安全都市宣言
昭和37年の芦屋市は国際文化住宅都市建設の理想を掲げて街づくりに取り組んでいました。
もうひとつこんな都市宣言をしています。「安全都市宣言」です。
昭和37年3月31日の宣言です。お隣の西宮市は同じ「安全都市宣言」を昭和37年1月10日に行っており、西宮市の後追いの恰好になりました。
臨港線を西宮市に向かう時、芦屋市と西宮市の市界の所に「安全都市宣言 西宮市」とあり、芦屋市側にはありません。西宮市は相当意識されていたようです。私が勝手に思っているのかも知れません。
とにかく、内海芦屋市長時代です。宣言文はこのようなものです。ご存じの方は少ないと思います。
「わが芦屋市は、国際文化住宅都市建設の理想をかかげ、着々とその実をあげつつある。
しかし、この躍動の陰には、交通事故や不慮の災害のため、不幸にもとうとい生命を失い、あるいはまた、障がいの身となられた市民も少なくない。
とくに急激なわが国の経済成長とともに、阪神国道を始めとする市内道路の交通量は激増し、さらに近く完成する第二阪神国道や山地開発の進捗と相まって、交通、災害、火災、公害その他の事故の危険度は、ますます増大する一方である。
かかる状勢下にあって、それら災禍の絶滅を期するため総合対策の確立は緊急の要務となった。
よって、わが芦屋市は市内のあらゆる組織を結集し、6万市民の総力をあげて、全市民のひとりひとりが日常生活の安全を確保するため一大運動を展開し、今後年間を通じて事故のない明るい都市建設を達成するために、わが芦屋市を「安全都市」とすることをここに広く宣言する。」
昭和37年3月31日
です。当時の芦屋市は市内道路の交通量が激増しており、交通、災害、火災その他の事故の危険度は増大する一方でした。水銀灯や街路整備、交通安全対策はモータリゼーションの始まった時代にあって、行政の急務だったのす。
そして宣言後、38年後の平成13年(2001年)
「わが芦屋市は、交通事故などの都市災害を絶滅し、市民生活の安全を確保して、事故のない明るい都市建設を達成するために、昭和37年3月31日に市民の総意に基づき「安全都市」を宣言しました。その後の交通事故の増加や街頭犯罪の多発また、安全でなければならない場所で子どもが被害者となる事件が増加するなか、安全への意識を高め、明るい地域社会を実現するため、「安全都市宣言」の精神を継承した「芦屋市民の生活安全の推進に関する条例」を平成13年10月1日に施行し、市民の安全意識の高揚及び自主的な安全活動の推進を図るとともに、市、市民及び事業者それぞれの果たす役割を明らかにすることにより、犯罪及び事故を防止し、市民が安心して暮らせるまちの実現を目指していきます。」
平成13年10月1日
と条例が出来ています。宣言も条例も芦屋市議会の決議と議決が必要です。
改めて、交通事故死や障害にならない都市!街づくりを!と考えます。
【参考文献】
芦屋市史 昭和31年 本編・資料編
芦屋市史 昭和46年 本編・資料編
芦屋郷土誌 細川道草 昭和38年
芦屋の里 島 之夫 昭和4年
阪神間モダニズム 納屋 嘉治 平成9年
芦屋の生活文化史 民俗と史跡をたずねて 昭和54年 芦屋市教育委員会
阪神国道の沿革 昭和48年