あしや温故知新VOL233  第二阪神国道開通 昭和38年1月6日 

 

 第二阪神国道(国道43号線)の内、尼崎市辰巳橋から神戸市東灘区高羽間の約18キロの兵庫県側だけが予定より3ケ月ほど早く昭和37年度中に完成しました。

 いよいよ待望の開通式が昭和3816日に挙行されました。

  尼崎市内の共同溝工事現場に約889m6車線になったほか、全部幅員50m10車線となります。

 50m幅員でこれだけ長い国道は国内初でした。

 

 また、均等に全線に照明灯を備えました。兵庫県下で約1,000灯になります。

 道路横断にはオーバーブリッジを設けて交通量と高速を確保するなど、モータリゼーションに対応した対策が打ち出されていました。

 

 工法も機械化テストケースとして新鋭大型工作機械を使い、

動員20トンの重さに耐える路盤を完成させました。


 路盤の厚さが20㎝、その上に更に25㎝のコンクリートを敷いているのは当時としては圧巻でしょう。


 16の開通式には河野建設大臣を始めとする参列者は1,600人という国道開通式が始まって以来の大盛況で、300台の自動車を連ねる大パレードが国道を横断し、花火、風船、オーバーブリッジのデコレーションなど沿道見物客でも賑わった。

 

 芦屋市では、延長2.2㎞を受け持っていたが、旧浜街道(西国街道)に架かっていた永保橋を拡張して芦屋川橋としました。(この時点以前に永保橋は存在しておりません)

 この橋は幅員50m、長さ50mの鋼板桁のもので、工費が1.6億円を要して昭和363月竣工しました。

 

 ここから芦有道路を連絡し、将来日本海への最短コースとなる予定でした。

宮川橋も長さ22.8m幅員50m。工費2,700万円を投じ昭和3511月竣工した。

 また、交通事故の危険回避のため、芦屋市立精道小学校(明治5年創立)のところにモデルケースとして幅員2.5mの歩道橋を設置しました。

 

 第二阪神国道(国道43号線)には立体交差や歩道橋が多数設置され街路樹、照明灯、道路標識などすべてが画期的でした。


 しかし・・・・・次週へ


  【参考文献】

芦屋市史 昭和31年 本編・資料編

芦屋市史 昭和46年 本編・資料編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38

芦屋の里 島 之夫 昭和4

阪神間モダニズム 納屋 嘉治 平成9年

芦屋の生活文化史 民俗と史跡をたずねて 

昭和54年 芦屋市教育委員会