あしや温故知新VOL227 芦屋の電話のお話 その2

 

太平洋戦争後


 昭和2781日、電気通信省は日本電信電話公社へ移行し公共企業体として発足しました。

 昭和341010日 手動市外外交交換台、案内台などを西宮電話局へ移設し、同業務も移管しました。

 一方、公衆電話所は大正111226日に自動一番として、国鉄芦屋駅前に、昭和246日自動2番として阪神深江駅前に、昭和371日、3番として阪神打出駅に設置され、以後次第に増設し、昭和373月末には92ケ所にまでになりました。

 

 また、芦屋市の電話普及率は全国で2位となり、(昭和37年)人口100人当り12.12となりました。因みに国際都市の熱海市が1位で12.88になっています。

 

戦災の影響について

戦後の電話回線の復旧工事を含め、昭和2085日で483件。その後開通

昭和27年同月日、3,129件。昭和32年年同月日4,731件、昭和37年年同月日8,325件になっています。 

 

西日本電信電話株式会社の旧芦屋郵便局電話事務室(現・芦屋モノリス)が、2017310日付けで国の「登録有形文化財(建造物)」に指定されています。


  設計者は上浪 朗(うえなみ あきら、1897-1975年)は、日本の建築家で、逓信省営繕課で幾多の逓信建築を担当されています。

1897年(明治30年)大阪生まれ。1922年(大正11年)東京大学工学部建築学科を卒業し、同年逓信省経理局営繕課に就職し、逓信省の建築家。

 

代表作品は以下です。

1,NTT東日本長者町ビル(旧横浜中央電話局長者町分局)(1925(大正14)年)

2,大分郵便局電話事務室(1927(昭和3)年)

3,広島郵便局電話分室(1928(昭和4)年)

4,熊本逓信局(1928(昭和4)年)

5,東京中央電話局赤坂分局(1929(昭和4)年)

6,NTT西日本京都支店祇園別館(旧祇園電報電話局)

7.芦屋郵便局電話事務室(1929(昭和4)年)

8.芦屋モノリス(旧逓信省芦屋別館)(1929(昭和4)年)

9横浜中央電話局長者町分局(1930(昭和5)年)

10東京中央電話局三田分局(1930(昭和5)年)

11姫路モノリス(旧姫路郵便局電話分室)(1930(昭和5)年)

12広島逓信局(1933(昭和8)年)

13岡山郵便局(1933(昭和8)年)

14呉電話分室(1936(昭和11)年)

15京都中央電話局吉田分室(1937(昭和12)年)

 

 芦屋市の旧電報電話局は現存し大切に保存されています。大桝町にあり、ランチやディナーを折りには、昭和の名建築の細かい細工に驚かれると思います。

 

【参考文献】

芦屋市史 昭和31年 本編・資料編

芦屋市史 昭和46年 本編・資料編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38

芦屋の里 島 之夫 昭和4

阪神間モダニズム 納屋 嘉治 平成9年

芦屋の生活文化史 民俗と史跡をたずねて 昭和54年 芦屋市教育委員会