あしや温故知新VOL225 兵庫県警察学校

 

 警察学校は警察官の新任教育や現任再教育を行う学校で、都道府県に各一校存在しています。

上級幹部の教養や専科教育のために各管轄区ごとに学校があり、東京には最上級の警察大学があります。


 この大学は警察庁管轄ですので、最上級学校と言って問題ありません。

歴史も古く


 明治18年4月 警官練習所として創立(赤坂区葵町)

  明治32年9月 警察監獄学校として設立(麹町区霞ヶ関)

  明治42年2月 警察官練習所として設立(京橋区山城町)

  大正7年4月 警察講習所として設立(麹町区大手町)


  昭和2年11 新校舎落成(麹町区三番町)

  昭和20年3月 戦災にて校舎焼失・杉並区天沼に移転

  昭和2111 中央警察学校と改称(杉並区天沼仮校舎)

  昭和22年9月 新校舎落成(杉並区天沼)

  昭和23年3月 警察大学校として設立(杉並区天沼)


昭和2411 中野区中野に移転

昭和25年6月 附属警察通信学校(現附属警察情報通信学校)開校

昭和40年3月 新校舎落成(中野区中野)

昭和42年6月 特別捜査幹部研修所設置

 (昭和まで)

 

 これの下に位置されるのが。都道府県の警察学校ということになります。

さて、兵庫県警察学校は明治17年(1884年)巡査教習所として発足し、明治40年(1907年)頃には神戸の中山手通4丁目の県庁付属地に学舎がありました。

しかし、大正年間に神戸西代の細田町に移転されました。名称も兵庫県警察消防練習所と変更され、警察官と消防吏員の教育を始めています。


 ところが、太平洋戦争の戦禍にあい再建が急がれたところ昭和2662日、芦屋市公安委員会を始め、市当局・市議会は芦屋の治安維持確保の一翼であり、文化教育都市芦屋の一つとしても、県下唯一の警察学校を誘致するべきであるとして、建設費の一部として500万円と敷地1,410坪を提供し風光明媚な朝日ケ丘の高台、国有林15,000坪の中に学舎、宿舎、講堂、体育館などが点在、全国一の警察学校が昭和28年(1953年)9月に完成し、以来常時300数十名の生徒が教育をうけ、その環境の良さを現在も誇っています。

 

 警察学校の入口には警備する学生が実践訓練として、常時立っています。

 子どものころは、芦屋霊園の帰りにこの門番というか門兵のように立っている姿にあれは人形だろうと思っていましたし、芦屋病院に入院した高校3年生の時は、病院屋上から北側を見れば隣接している警察学校の学生が走っている様子や朝の国旗掲揚を見るのが好きでした。

 

 退院する時は、いつも私を見ていた門番の警察官に挨拶にいったら、「元気になってよかったですね。君が誰だろうと噂をしていたんだよ。」と言われました。

 

 グランドでボロボロになるまでに走りつづけた皆さんに励まされましたと深々を頭を

下ました。

 

 その一人と芦屋警察署の「術科始め式」で再会するまで28年が経過していました。

 

【参考文献】

芦屋市史 昭和31年 本編・資料編

芦屋市史 昭和46年 本編・資料編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38

芦屋の里 島 之夫 昭和4

阪神間モダニズム 納屋 嘉治 平成9年

芦屋の生活文化史 民俗と史跡をたずねて 昭和54年 芦屋市教育委員会