あしや温故知新vol222 阪急バスの思い出その2

 

前回に続き阪急バスのお話を続けます。




 1977年(昭和52年)99 芦有開発の乗合事業譲受(阪神芦屋駅前 - 有馬温泉駅前間、921より営業開始)

  営業所の開業以前より、芦屋市内の路線は国道2号の上宮川交差点付近に存在した「芦屋営業所」が管轄していましたが、現在の「芦屋浜営業所」は、1980年頃に芦屋浜を埋め立てた住宅地「シーサイドタウン」が開発された頃に移設されたものです。


 また、1971年(昭和46年)からは芦屋市内線芦屋学園系統の廃止に伴いスクールバスの輸送契約をしていたが2005年(平成17年)3月をもって契約を解消し、長い歴史も閉じてしまいました。

 

 阪急バスの車両は1960年代の中頃までは各メーカーの車両を購入していましたが、それ以降は一部を除いて、三菱ふそう製のバスを購入する様になり、特に幹線系の路線には、車体長の長い大型車を購入していた。一方、いすゞ自動車製のバスについては、ツーマンカーが在籍していた頃には各所に配置されていたが、ワンマン化が進んでからは、吹田市や兵庫県の一部(芦屋浜)・1980年の時点では9割が三菱ふそう車です。


 1980年代以降いすゞ車は急勾配を抱える路線を持つ芦屋浜・宝塚・山口などに高出力車が配属されるのが一般的(1970年代までは、三菱ふそう製の高出力車が多く使われた)だったが、排ガス規制と経年劣化により台数は減り、1993年(平成5年)に日野自動車製のハイブリッドバスが1台導入されたことはあったが、それでも近年まで導入車両の大半は西日本車体工業(西工)のボディを架装した三菱ふそう車でした。


 2020年(令和2年)現在は三菱ふそう・日野・いすゞの順に多くそれぞれ3 - 4割前後、残り1割弱がUD(ユニバーサルデザイン)車となっています。

 

 阪急バスでは、芦有バスで使用された車両は三菱ふそう社の高出力路線モデルです。B800J9台(1971年式8台、1973年式1台)が在籍していました。移管後は71-600 から 71-607および73-608の社番が付与され、芦屋・山口両営業所に配属されたがしばらくは芦有バス時代の塗装のままでした。


 これで私自身も芦有バスが阪急バスに移転したことを随分と経ってから知ったのです。

 

社名の「ふそう」は、1932年当時三菱重工業(初代)の前身である三菱造船にて、大型車事業を開始したときに社内公募により決定されたもので、日本の別称「扶桑」に由来しています。芦有道路を走るバスはこの高出力エンジンをもつ800が最も優れていたのです。

 

 話は変わりますが、JR芦屋駅南の再開発事業はある意味、バス路線の南北通過交通の見直しも含まれています。


 現在の阪急バスは北部地域と南部地域のほとんどがJR芦屋駅北口が中心となっているための危険度もあり、南口の交通結節点が大きくクローズアップされています。


 南口の更なる発展は芦屋市民の願いでもありました。1日も早く完成することを願っています。

 【参考文献】

芦屋市史 昭和31年 本編

芦屋市史 昭和46年 本編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38

芦屋の里 島 之夫 昭和4

『阪急バス50年史』1979