あしや温故知新vol221 阪急バスの思い出その1六麓荘バス!

 

 芦屋市民の脚は市内を巡回するバスであった。


 阪急バスがその役目を担っていました。


 その歴史から、芦屋市おける阪急バスの芦屋に関係する部分を紹介します。

 1927724日: 摂津遊覧自動車株式会社として設立。

 1928828日: 摂津自動車株式会社に社名変更

 1929725日: 阪神合同バス株式会社に社名変更

 96 阪神急行電鉄株式会社の資本参加


 1939325日: 株式会社六麓荘の乗合営業譲受認可。


 苦楽園に住んでいた掘抜製帽社長・掘抜義太郎が「東洋一のホテルをここに建てる」という発想のもと、芦屋市街が一望できる場所に「芦屋国際ホテル」という7階建てのホテルを1939年(昭和14年)106に客室12部屋、収容人員18名で開業しました。

  宿泊客はほとんどが西洋人で、大阪・神戸の一流財界人も利用しました。料金は一泊300円。当時の平均的な宿泊料は15円から30円で、ホワイトカラー勤労者の月給が50円程度であったことからも、超一流ホテルと分かります。


 六麓荘は芦屋の中心市街地や駅から約30分と随分と離れている。この辺りのバス運行は阪急、阪神の両私鉄が完全に支配していたが、六麓荘独自でバスを運行させようと「株式会社六麓荘」経営の六麓荘地域交通というバスを運行させました。


 しかし1939年(昭和14年)に阪神バスへ譲渡されてしまいます。


そのバス会社も

 1946年(昭和21年)620日: 阪急バス株式会社に社名変更


 阪急バスが始まった


 1962年(昭和37年) 930 初のワンマンバス(運転手のみのバス)運行開始(阪急芦屋川 - 岩園団地前間)。その後、1978(昭和53年)年6月までに全車両ワンマン化することになります。


 芦屋市で試験運行されたのです。その当時は、車掌のいないワンマンカーを一目見ようとわざわざ芦屋市にやって来た人も多かったのです。


 1966年(昭和41年)31 芦屋営業所にて、初の整理券方式を導入


 整理券を受け取り、降りる時に整理券と一緒に運賃を支払った。その金額は後に降り口上部にあった電光掲示板で分かるようにはなっていたが、面倒くさかった。


 車掌さんの両替や切符方式の方が私は好きだったし、母が「これで車掌さんたちは失業するんよ」と悲しげにいったので覚えていますが、阪急バス系列の観光バスに転勤されたと聞いた・・・。


 芦屋市の阪急バスのワンマンカー(車掌がいないバス)は昭和41年に完全に実施されています。


 次週につづく