あしや温故知新VOL220 芦有バスの秘密 その2

 

 芦有バスが出来たのはもちろん芦屋市の街づくりから始まっています。


 昭和3331日芦有開発会社が芦屋市で誕生しました。資本金は5,000万円でした。芦屋市奥山から有馬まで10.67㎞をわずか20分で結ぶ、六甲山地横断路です。幅員は7m以上の2車線で特殊アスファルト舗装(鈴鹿サーキットと同じ舗装)で約2年の年月と26憶円の巨額を投じた一大事業です。

 昭和36921日 高松宮殿下をお迎えして式典を行い、全線開通しています。

 

 当時のデータですが、金井トンネル(標高1,000mほどに勾配を少なくするためにループ式民間自動車道路日本初175m)、六甲トンネル(延長972mは民間自動車道路では日本最長、世界でも9番目)他、芦有トンネル(200m)・有馬トンネル(178m)の4つのトンネルがあります。

 

 橋梁は芦有・阪本・平野・西村・猿丸・下条・川島・岩崎・金井があります。これは設立当時の役員の名前と出資者の名前を橋につけるものです。金井橋はアルミ合金製です。


 西村・平野橋はこれまで潜水艦などしか利用できなったものを日本鋼管が実用化したものです。当時は珍しい最先端技術の橋だったのです。

 

 開通当時から展望台は生駒山を望め、大阪、西宮、宝塚、芦屋の市街地の夜景は美しいものです。ゲートは宝殿と有馬口にあります。宝殿から六甲山頂へ向かうスカイラインは人気のコースです。


 有馬ゲートからすぐに有馬温泉街になりますので、昭和36年以降はこの道路は有馬と神戸以東の町のアクセス道として大きく貢献しました。

 ちなみに開通当時は平日で1,000台。祝祭日になると3,000台を超える通過交通量でした。

 

   昭和36年(1961年)、芦屋と有馬を結ぶ芦有ドライブウェイの工事の真っ只中に驚くニュースが芦屋市を駆け巡りました。「なんと!工事中にマンモスの化石が発見」されたというものです。もちろん作業員が発見したものですが、実は他にも多数の化石があったのです。 

 

   その中に手の平ぐらいのサイズで動物の骨のようなものがありました。調べてみるとなんと、ナウマン象の下あごの歯でした。芦屋川上流で発見されたナウマン象の化石は、海面からの高さが約400mもある六甲山地の中腹でも発見されたという事で貴重な歴史資料とされました。

  この化石は芦屋市立美術博物館の歴史資料として保管されています。(あしや温故知新VOL34で紹介)


 1977年(昭和52年)99 芦有開発の乗合事業譲受(阪神芦屋駅前 - 有馬温泉駅前間、921より営業開始)


 芦有バスは短命でしたが、色んな逸話を残して歴史に幕を下ろしたのです。しかし、阪急バスが受け継ぎ、現在も奥池ハイランド地域の脚となっています。








   【参考文献】

芦屋市史 昭和31年 本編

芦屋市史 昭和46年 本編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38

芦屋の生活文化史 1979年芦屋市教員委員会

阪急バス50年史 1979