あしや温故知新VOL219 芦有バス その1

 

 芦有バス(ろゆうバス)は、兵庫県芦屋市に車庫基地がありました。

芦有道路の開通後、芦屋ハイランド地域にある住宅地(奥池町・奥池南町)の輸送確保のために、芦有ドライブウェイの管理および周辺開発を担う芦有開発株式会社が、子会社「芦有バス」を設立し、1963年(昭和38年)331から運行開始。


 芦屋から六甲・有馬への足として運行を行っていました。しかし、利用者の減少により、路線バスとしては経営難となり1977年(昭和52年)921より同路線は阪急バスに移管されることになりました。芦有バスとしては短い14年間の歴史に幕を閉じたのですが、移管当初は芦有バスの車両が長く使われていたのでもっと長くあったと思われていました。

 

 バス事業を引き継いだ阪急バスの芦屋~有馬線は今も活躍しています。多くのハイカーや有馬温泉への乗降客数は安定していると言われています。

 

 交通公社始め主要な大判時刻表に掲載されていた路線として芦有ドライブウェイ・阪急バス芦屋浜営業所・阪急バス山口営業所を参考にすると、

六甲山の一軒茶屋で神戸市バス・阪神電鉄バスの六甲山上線ケーブル山上駅方面に接続しており、阪神芦屋駅前~(ドライブウェイ経由)~奥池~宝殿橋~一軒茶屋という路線。

移管後は、阪神芦屋 - 有馬温泉 - 山口営業所の80系統と、阪神芦屋 - 奥池 - 芦屋ハイランドの81系統となり、2020年現在も現役の運行を続けていることが分かります。(有馬温泉 - 山口営業所間は短縮)

 

 芦有バス運行当時、1963年(昭和38年)使用された車両は分かりませんが、運行当時のバスはパワー不足で急勾配のバスが立ち往生することもあったようで、「有馬越えをするバスに乗る時は途中、歩く覚悟やないとね」と祖母が話していたことを覚えています。


 1970年代になると三菱ふそう社の高出力路線モデルであるB800J9台(1971年式8台、1973年式1台)がありました。

 移管後は71-600 から 71-607および73-608の社番が付与され、芦屋・山口両営業所に配属されたがしばらくは芦有バス時代の塗装のままでした。


 話しは少し変わりますが、社名の「ふそう」は、1932年当時三菱重工業(初代)の前身である三菱造船にて、大型車事業を開始したときに社内公募により決定されたもので、日本の別称「扶桑」に由来しています。芦有道路を走るバスはこの高出力エンジンをもつ800が最も優れていたのです。

 

 次週につづく


   【参考文献】

芦屋市史 昭和31年 本編

芦屋市史 昭和46年 本編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38

芦屋の里 島 之夫 昭和4

芦屋の生活文化史 1979年芦屋市教員委員会

阪急バス50年史 1979