あしや温故知新vol215 兵庫県芦屋市ユースホステル
国際ユースホステル連盟の規約に基づいて青少年に対して自転車旅行・ハイキングなどを通じて、レクレーション教育およびその機会を与え、自力による簡素な旅行によって、国内外の風物・文化・歴史・産業など各方面の見聞を広め、規律あるグループ行動をし、日常生活の良い習慣を体得し、もっと世界的市民として見識および教養を涵養させることを目的としてユースホステルの活動がなされている。
昭和35年6月10日開所し、その池畔にユースホステルが建設され、その魅力に多くのファンで「芦屋のユース」として有名になったことはいうまでもありません。
翌年の9月には芦有自動車道路が開通、39年10月にユネスコ会館が開館し、多くの人々が訪れるように。
美しい詩情と、かんがい用水として大切な役割を果たしてきた奥池は、芦屋川の最上流で、西宮市と接した海抜500メートル以上のところにあり、六甲山のなかで、最も美しく、周囲800メートル、水面積が3.8ヘクタールの大きな池である。
全国のユースホステルは文部省と運輸省の補助で建設される公営ホステルの他に指定ホステルなどもたくさんあり、非常に安い料金で宿泊できるのが最大のメリットでもあった。兵庫県では約60件あまり存在していました。
芦屋市のユースホステルは北部山地開発事業の一環として運輸省の補助金を利用し、芦有開発株式会社の協力によって、鉄筋コンクリート造2階建てのモダンなホテルが建設されたのです。
宿泊者数52名(男32名。女18名、特別室2室)で浴室、集会室(兼食堂)ロビー、ホール、自炊室、年齢、国籍の別なく誰でもが利用でき、団体の場合は20名以内を原則として監督者が着くことになっていました。
芦屋のユースは開所以来2万人を同年に突破してしまった公営のユースホステルで稀有な例として紹介されました。
しかし、時代と共に若者の生活スタイルにも変化がおこり、その人気にも終止符が打たれることになりました。
平成12年(2000) 3月31日 震災復旧工事が完了し(1,135百万円) を投じて再出発を始めた矢先に、火災が発生し、全焼してしまいました。その後は「心霊スポット」などの投稿がSNSなどで都市伝説を勝手に作り出し、近隣住人にも迷惑をおかけすることになり、せっかくの再建計画も断念するに至りました。
「兵庫県芦屋ユースホステル閉館」でした。私も何度か利用した施設だったし、自由に奥池で遊んで、浴室で温泉気分、家庭的な料理が逆に新鮮な感じのする不思議な空間でした。
若い時は四国や九州にバイクで旅に出る時にはこれらのユースホステルを利用したものです。
今はグランピングの時代だそうですが、また時代帰りがあるときはユースホステルが私の第1位にあがるでしょう。
【参考文献】
芦屋市史 昭和31年 本編
芦屋市史 昭和46年 本編
芦屋郷土誌 細川道草 昭和38年
芦屋の里 島 之夫 昭和4年
1979年 芦屋市教員委員会
芦屋の生活文化史