あしや温故知新vol216 湯元のおや薬師さん

 

 天平時代、僧行基菩薩は今の西芦屋から三条村にかけて、壮大な法恩寺を建立しました。

(あしや温故知新VOL74 芦屋廃寺伝説と湯本の薬師で紹介)

 

 本堂は薬師如来で当時薬師堂は本堂として雲表に聳え立っていたらしい。

しかし、中世の動乱で焼き払われてしまった。江戸時代の人がここに小堂を作り、お薬師さんとして、「イボを治す神様」として信仰されたのがこの伝説の始まりです。

これを聞きつけた人々が大勢やって来たらしく、地元の人も使うのに苦労したことでしょう。


 「摂津名所絵図」とは今でいう観光マップのようなものです。ここでは芦屋がたくさん紹介されています。

 

 さて、薬師堂の礎石にある円柱形の穴に水が溜まりこれをつけると、「イボ」が取れるというのでこの薬師堂の近くに塩湯が沸きだしていました。紀州熊野権現の神力によって、南海から芦屋の浦まで暖かい潮目が虹のように流れていたためです。

 

 また、一方で芦屋の浦を有馬の浦・潮と言ったのはこの熊野灘から来た塩湯が薬師堂の下をくぐり抜けて六甲山麓横切り有馬に湧き出たからである。


この塩湯は衆生の難病を治し、神慮の奇妙によって、といつまでも絶えませんでした。

 

 芦屋は有馬温泉の湯元で温泉寺の僧は芦屋の薬師堂に毎月1度参拝していました。

法恩寺を塩通山というのもそのためなのです。

湯元の薬師堂の伝説、湯元の松などというのは単なる伝説ですが、ロマンがある時代は素敵な物語を残してくれます。

 

 中世法恩寺の破壊とともに塩湯がでなくなり名を残すだけになりました。

 

ところで、温泉なるものがなぜ、熊野の潮と関係があり、芦屋の地下をくぐり抜けて有馬に湧き出たと言ったのであろうか?

これには古代人たちの信仰を考えるといいと思います。


奈良の二月堂のお水とりに若狭から地下をとおり、水が通るという伝説は日本全国に存在しています。

 

また、六甲山麓は断層が多く、芦屋にもところどころに塩類泉に近いものが湧き出ている。

地質学上でも興味が湧く伝説ではないだろうか。

 

歴史ロマンの芦屋市をもっと紹介することも必要だと私は思います。

 

【参考文献】

 

兵庫名所記湯元の薬師

摂陽群談有馬潮

摂津名所絵図会場元薬師堂

芦屋郷土誌 細川道草昭和38年発刊

芦屋市史