あしや温故知新 vol210.  稲畑汀子先生


  稲畑 汀子先生(193118 - 2022227日)は、神奈川県出身の俳人。

俳人高浜年尾の娘で、俳人高浜虚子の孫。

『ホトトギス』名誉主宰、日本伝統俳句協会名誉会長です。

北村春江元市長が亡くなられ、芦屋市の人材と歴史が数行の新聞記事で終わるのにはもったいない逸材です。

 

 ご出身は神奈川県横浜市で、父上は高濱年尾、母喜美の次女として生まれ、幼児期を鎌倉で過ごされました。

1935年に兵庫県芦屋市に転居され、小学校のころから祖父高濱虚子と父年尾のもとで俳句を教わったという。小林聖心女子学院高校卒業、同英語専攻科在学中に病にかかり、中退され俳句修行に専念し、祖父と父に同行して全国を廻られておられます。

1965年『ホトトギス』同人。1977年より『ホトトギス』雑詠選者となり、

1979年、父高浜年尾の死去により『ホトトギス』主宰を継承されました。

1980年、夫順三が死去。

1982年より、世界各地を吟行し、諸外国との俳句親善に努められました。

1987年、日本伝統俳句協会を設立し会長に就任。

1994年、NHK俳壇の講師・選者(1996年まで)。

芦屋市教育委員長に就任する。

俳壇の講師や選別の忙しさの中、教育委員長も務められ私とは何度か意見の違いはありましたが、「冷静に物事の本質を大切にしたい」と頑固な一面もありました。


2000年、虚子記念文学館を芦屋に開館、理事長に就任され。

201310月、『ホトトギス』主宰を息子の稲畑廣太郎に譲り、同名誉主宰に就任する。正岡子規国際俳句賞選考委員なども務めておられました。


2019年、 70NHK放送文化賞受賞。

2020年 兵庫県功労賞を受賞、ちなみに私も自治部門で同時に受賞したので稲畑汀子先生も車椅子の私に「人に優しくなられましたね。顔を見ればわかりますよ」私が「俳句の神髄ですね・・・・・」パーティーでそんな話をしたのが最後でした。


20221月、日本伝統俳句協会名誉会長。

2022227日、心不全のため兵庫県芦屋市の自宅で死去。91歳没。

 

稲畑汀子先生は優しかった。いつも議会では暴れていた私はでしたが、稲畑汀子先生は芦屋の子供たちに必要なものがなんであるかを考えていた方でした。


北村春江元市長と稲畑汀子先生ともご一緒したおりには、私の即興俳句を手直ししてくださって、「車椅子を派手にして外に出よう!」「立ち飲み屋では座って飲めるメリットがある。」など明るく話す私の会話に笑ってくださっていました。 


稲畑汀子先生と北村春江元市長、きっと天国で俳句のやっておられるでしょう。

長きにわたり、お二人のご指導を忘れない。

合掌












【参考文献】

『ホトトギス新歳時記』( 三省堂、1986年)

『ホトトギス季寄せ』(三省堂、1987年)

『高浜年尾の世界』(梅里書房、1990年)

『よみものホトトギス百年史』(花神社、1996年)

『俳句表現の方法』(角川書店、1997年)

『三省堂ホトトギス俳句季題便覧』(三省堂、1999年)

『ホトトギス 虚子と100人の名句集』(三省堂、2004年)

『ホトトギス俳句季題辞典』(三省堂、2008年)

『ホトトギスの俳人101』(新書館、2010年)