あしや温故知新 VOL198 市政施行25周年その2

 

昨年度芦屋市は市制施行80周年を迎えています。

昭和40年度 芦屋市は25周年がありました。

 

 その記念誌を見ると実にこの時代の市長や議員たちは分かりやすく、芦屋のビジョンを語っています。

 

 昭和15年兵庫県武庫郡精道村が市制して芦屋市になった事実は当時人口4万人余りで財政力も十分だったが、「市になるより村のままでよい」という意見もあったようです。

大阪や神戸から働いて帰ってくる我が家があるところは「村」であって欲しい。

大阪や神戸と同じ感じの「市」では身も心もくつろげない。

という感覚だったようです。

25年後つまり50周年には「ホームタウン芦屋の完成に専念しているのも、この「村の理念」の伝統を受け継ぐものと言えましょう。渡辺万太郎芦屋市長が解説しています。

 

この市長は市民の間では愛称があって渡辺万太郎とは呼ばれず。「マンさん。渡辺の万さん」などでした。

昭和42年TBSウルトラセブン「ウルトラ警備隊西へ」の撮影を芦屋市役所に提供したのも渡辺市長が即決決済され、あの「キングジョー」「セブン」の名シーンがファンの間でも有名だ。撮影後、スタッフ監督が渡辺市長の所に行きますと。

お礼は不要だから、いつかウルトラセブンのように自分のためでなく、人の幸せを考えてくれるヒーローで子供たち影響のある作品を作って欲しいとお願いされたと聞きました。

 

その後、「ウルトラマンタロウ」が発表されますが、この時の万太郎市長の約束が守られたという都市伝説が残っています。

 

さて、「村の理念」とは市民の皆さんが落ち着いて暮らせる」「仲良くお付き合いができる」ということを意味するもので「住宅・道路・下水・下水道・衛生・教育・文化・公園等」の諸施設は一流の都市に劣らない近代的なものでなければなりません。

 市長は日本有数の街づくりを輝く芦屋市の名において達成する25周年にしたい。

そんな豊富を述べています。

 

鶴田秋太郎議長も芦屋市の近代化と住民の皆さんの協力をとその献身的な協力に感謝を述べたうえに議会の総力を挙げて未来の発展に努力を誓っています。

昭和40年

人口63,195人 予算規模も約200億円に達する状況になっていました。

 

既に国鉄の南北の駅舎前を開発し、そこを核として通勤の便利さと住みやすさを考えていたようで、現在の芦屋駅前の無茶苦茶をどう見ているだろうか・・・・


つづく