あしや温故知新VOL 195 村上春樹No2

 

 村上春樹氏は「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」のなかで自身が通ったこの中学校のことを書いています。

 

 「中学校のときには先生によく殴られた。小学校のときに先生に殴られた記憶はないし、高校のときに殴られた覚えもない。でもどういうわけか、中学校のときにはしょつちゅう殴られていた。……僕の通っていたのは兵庫県芦屋市にある普通の公立中学校で、決して荒っぼい環境ではなかった。……。今でも思いだすとやはり不快だし、頭にくる。……考えてみれば、そこで教師たちに日常的に殴られたことによって、僕の人生はけっこう大きく変化させられてしまったような気がする。僕はそれ以来、教師や学校に対して親しみよりはむしろ、恐怖や嫌悪感の方を強く抱くようになった。」とあります。

 

 村上春樹氏の時代の精道中学校は阪神間各地から越境してまで通いたいと言われた超進学校で厳しい指導がされていたようです。

 

 神戸高校に進学する事が出来る少数の成績優秀者になったり、私学の灘高校、甲陽高校、神戸女学院に進学する生徒の数が精道中学校は飛び抜けていたようです。

 

 「打出公園」は「風の歌を聴け」のなかで、二度ほど登場します。「、、とにかく僕たちは泥酔して、おまけに速度計の針は80キロを指していた。

 そんなわけで、僕たちが景気よく公園の垣根を突き破り、つつじの植込みを踏み倒し、石柱に思い切り車をぶっつけた上に怪我ひとつ無かったというのは、まさに僥倖というより他なかった。 


 僕がショックから醒め、壊れたドアを蹴とばして外に出ると、フィアットのボンネット・カバーは10メートルばかり先の猿の檻の前にまで吹き飛び、車の鼻先はちょうど石柱の形にへこんで、突然眠りから叩き起こされた猿たちはひどく腹を立てていた。

 

 二回目に登場する場面は有名です。「僕は街の中をゆっくりと車で回ってみた。海から山に向かって伸びた惨めなほど細長い街だ。川とテニス・コート、ゴルフ・コース、ずらりと並んだ広い屋敷、壁そして壁、幾つかの小椅麗なレストラン、ブティック、古い図書館、月見草の繁った野原、猿の檻のある公園、街はいつも同じだった。

 

 古い図書館は打出図書館です。


 海から山に向かって伸びた惨めなほど細長い街だ。川とテニス・コートも芦屋市の風景でしょう。

 

 村上春樹氏の作品に登場する芦屋の風景は私も大好きな場所ばかりです。


【参考文献】

芦屋市史 昭和31年 本編

芦屋市史 昭和46年 本編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38

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