あしや温故知新VOL192潮芦屋 芦屋の町名シリーズ50最終回


新しい街の誕生を多くの市民が歓迎し、10万人都市を目指す。


 そんな、南芦屋浜地区の土地利用計画等は、昭和42年の尼崎西宮芦屋港港湾計画における位置づけをもとに、「芦屋沖基本計画」(昭和63年)、「南芦屋浜地区土地利用計画」(平成8年)、民間活力の導入を目的とした事業提案競技(平成9年)を経て、平成12年に「南芦屋浜プラン」の策定に併せて検証・整理を行ったと兵庫県は振り返っています。


 しかし、一方で巨大な規模の総合公園(環境事業団)からの提案を国から受け、当時の北村市長は阪神淡路大震災の復興と膨らむ事業費に「未来の投資」として現在の基本計画を承認し、議会も追従しました。  


 企業庁は逆に土地利用計画に次々と変更を加え、業務研究用地に流通センターなど噂が絶えない計画で最後の商業用地に至っては、当初計画とは全く異なった。 


32階建てのタワーマンションをランドマークにする計画には、北村市長は真っ向から拒否さたれました。逆に親水公園を「ラグーン」として(「ナグーナシティ・芦屋」私が勝手のそう呼んでいただけですが・・・)計画し私のプランも一部採用してくれました。

 広い公園を海水でなく、下水処理場の中水の活用から海水を入れない方法になりました。これは生命線でした。当初は海水のプランでした。

 

その後、話は長くなりますが、小学校用地建設は転用型を山中市長は提案しましたが、一旦は小学校を建設するというのが白紙撤回となり、未完成の不安定な状態でした。  


そして、201894日、台風21号は「非常に強い勢力」で徳島県南部に上陸し、1961年の第二室戸台風と同じような経路を辿って近畿地方を通過し、日本海へ抜けました

 台風が「非常に強い勢力」で上陸したのは、1993年の13号以来、25年ぶりのことで、記録的暴風と第二室戸台風を上回る大規模な高潮をもたらしました。

 

地域が連携して街づくりに参加し、芦屋市民の憩いの場となるように大きく育っていく街

 

そんな海洋町・南浜町・陽光町・涼風町の名前はどれも市民の公募で決定したものです。

この街の歴史はこれから作られるでしょう。

 

公園や美しいビーチ、松並木、海で育った私はこの風景が好きだし、潮の香がいい。

夜に星を眺めて寝そべると懐かしい「芦屋浜」がシンクロします。

 

戸建てや高層住宅側の花壇には花が多く、「あしや」らしい風景になってきました。

地域のみなさんの協力で益々、人気が集まることでしょう。


スーパーマーケットやホームセンター、コーヒー店やケーキ店など、戸建て住宅の中に素敵なお店があったりするのもこの地域の特徴です。

私の好きなビーチや親水公園を核として賑わっている元気な街、それが潮芦屋地域なのです。

 

JR芦屋南の再開発ができて駅前整備が進んで、バス路線が2時間に1本などという田舎のバス路線も解消しなければなりません。

 

潮芦屋パワーを結集していただきたい締めくくり、あしや温故知新町名シリーズを終わります。

 

  

【参考文献】

芦屋市史 昭和31年 本編

芦屋市史 昭和46年 本編

芦屋郷土誌 細川道草 昭和38

芦屋の里 島 之夫 昭和4

女性市長の大震災日記 北村春江