あしや温故知新VOL185 昭和33年その2
昭和33年(10月現在)人口増加として、出生数496人、死亡数224人、自然増加数242人、死産胎数37人、婚姻数349件、離婚数25件と数字が公表されています。
現在なら考えられないものですが、他にも外国人の人口世帯数166、男女総数576人とし国別の数まで統計結果も掲載されています。
犯罪発生数と犯罪内容(殺人や強盗致傷、強盗強姦、放火や棒鋼、恐喝、詐欺・横領、わいせつ行為。その他の刑法犯820件の発生で、検挙503件と堂々と掲載されています。
実際、現在の犯罪件数より多いことが理解できます。
衛生面では伝染病の赤痢や腸チフス、パラチフス、しょう紅熱、ジフテリア、日本脳炎などが合計で62件ありました。
データとして、旅館ホテル料理旅館が7軒、理容所34軒、美容所35軒、公衆浴場11軒、興行所1軒(芦屋会館)クリーニング所30軒もありました。
こんなデータも市勢要覧に掲載されています。
市内の電話加入率は9.7%とか国鉄乗車人員1日平均10,885人、降車人員は10,575人です。(阪神・阪急・阪神国道鉄道は乗っていません)
ラジオの普及率は85.6%(全国は昭和35年でも24.9%だった) テレビの普及率は35.6% (全国で昭和32年7.8%しかなかった)昭和の3種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)のうち、テレビをあえて市政要覧に掲載する意味は想像でききますね。
生徒・児童の学年別の平均ですが、身長・体重・胸囲・座高が掲載されており、これに歯科の検診データなどを元に、各学校で健康状況を把握し、健康優良校の表彰を行っていいます。
何より、びっくりしたのは食糧事情がよいのか、健康優良児を何人も芦屋市が誕生させていたのです。
今は全国学力調査ですが、当時は健康だった。
この芦屋市は当時、芦屋市内の公立小中学校へ他市から大勢、越境が始まった時代です。
熱心な学力向上の指導力もあったし、何より教育に出す費用が巨額であって、校舎などのハード面も優れていたからだという専門家も多い。
【芦屋十景】として
奥池キャンプサイト、芦屋天神のつつじ、高座の滝ハイキング、芦屋浜の松林、ロックガーデンの奇勝、城山の展望、芦屋川畔の散策、六麓荘のドライブ、霊園の桜、親王塚の森
が紹介され、芦屋市役所民生部・市民課が「国際文化住宅都市 芦屋」の写真集を発行しています。モノクロ(見開き11P )
【芦屋市の年中行事】
植樹祭(4月上旬)芦屋市美術展(6月上旬)海水浴場開き(7月1日)奥池キャンプ村開き(7月1日)天神祭(10月16日)打出天神祭(10月17日)あしやまつり(10月15日を中心にその前後)阿保親王祭(12月1日)
昭和33年といえば、東京タワーが完成し、長嶋茂雄が巨人軍に入団。コカ・コーラがファンタ!日清食品があの世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発売。本田技研工業が名車「スーパーカブ」を発売。富士重工業のスバル360も大ヒットした。
国鉄も特急「こだま」が運転を開始(東京-大阪間6時間50分で日帰り可能に 国鉄は「ビジネス特急」と宣伝していました。キューピーから発売 日本初のドレッシングを発売。
アサヒビールから日本で初めて缶ビールを発売350mlで75円だった。
週刊テレビガイド創刊し、定価20円で発売。
私はその激動の年に生まれました。
しばらくすると「使い捨ての時代」 いざなぎ景気。オイルショックは高校生でよく理解できていなかった。
就職すると、間もなくバブル景気で一攫千金の話で沸騰した。バブルが崩壊したら、しばらくして、ちょうど私が40歳のとき、介護保険制度が強制加入となった。
バブルをもう一度!そう考えている同級生たちも多い・・・・・