あしや温故知新VOL 175 伊勢町 芦屋の地名シリーズ37

 

 芦屋市は伊勢物語の在原業平に関係するゆかりの地として、業平町・公光町などの町名や橋の名前などが残っています。

では、この前にご紹介した竹園町の南に位置する伊勢町も同様かと思われるのですが、実際はまったく関係がありません。


 ちょっと残念ですが、伊勢物語の地を巡るツアーに参加されている方はこの伊勢町のプレートの前で記念撮影されていましたが・・・このことを知ったら残念だろうと思います。

この地は伊勢講田、酉新田という小字名で呼ばれておりました。


 「新田は国道以南、特に阪神以南に多いことから見ても、よくその新開地なることがわかる」(昭和4年発行 芦屋の里 島之夫)

伊勢講田は芦屋村の人びとが伊勢神宮にお詣りする費用を捻出するために開いた田んぼのことです。


 昔の人々は「一生一度の伊勢参り」と呼ばれたように、村人には相当な負担になっていましたが、憧れと期待へ向かうことが何より優先されたのでしょう。

この伊勢講田はその負担軽減のためのものだったのです。


その地は、今は芦屋の文化ゾーンとして存在しています。

1988年にできた谷崎潤一郎記念館は現在も芦屋の人々に親しまれています。

 

 芦屋市立美術博物館と小出楢重アトリエが移築されています。芦屋市立図書館もあり、この伊勢町の文化ゾーンに集中しているのが「伊勢町」なのです。

 伊勢物語と関係はありませんが、この場所に来るとどうしても連想することになります。

 さて、この伊勢町には私には見慣れた風景がありました。

大きな屋根の洋館です。1度だけ小学校4年の時に3階部分に行かせてもらったことがあります。そこから南に大阪湾が一望できましたし、部屋は綺麗な模様の壁や天井だったと記憶しております。「旧金川邸」です。

 

 「芦屋の洋館建築物」 は次々と失われてしまいました。阪神淡路大震災で再建不可能となったのが、伊勢町にあった旧金川邸です。いつかは再建しようと部材を保管していたものが発見されました。金川邸の多数の部材は、山手緑地内にある旧藤井邸の蔵に多数丁寧に梱包され保管されています。

 これは芦屋文化復興会議の皆さんが提案したもので再建するための正確な図面やスケッチを神戸大学建築科の協力を現存しているはずです。(一緒に調査しました)


  誰も知らないままに朽ち果てることになるかも知れない建築物の部材と図面が残っていますから、このことを忘れないようにここに書き残しておきたいと思います。 「あしや温故知新VOL83 松風山荘から始まった」で紹介しました。

 なお、この金川邸にあったステンドグラスはに同じ場所のマンションエントランスに残っています。


 【参考文献】

芦屋市史 昭和31年 本編

芦屋市史 昭和46年 本編

芦屋の地名を探る 文化振興財団

芦屋郷土誌 細川道草

芦屋の里 島 之夫昭和4