✴️あしや温故知新VOL174 思い出の中に・・・

 

 昭和33622日 夏至 


 私は芦屋市打出呉川町76番地で誕生しました。


 芦屋浜の漁師たちを束ねていた漁業組合長を祖父に持ち、叔父さんたちは全員漁師でした。唯一、別の職業を持っていたのは父で芦屋市消防署に勤務していました。


あの頃の芦屋、、、。

 

今でも目を閉じれば、潮騒と芦屋・打出浜の白砂青松の風景が浮かんできます。

 幼い頃、子供がなかった叔父たちが父親みたいにもなり、海と共に生活する厳しさが自然と身についていました。


 しかし、小学校2年生になるまでは、病弱でひ弱でした。


 地元の海輪小児科と野村内科・小児科、里見耳鼻咽喉科に通う毎日でした。


 祖母の買ってくれた当時では珍しいテレビ鑑賞と芦屋会館の映画鑑賞の毎日です。

 東宝の怪獣映画や特撮映画、月光仮面、忍者部隊月光、隠密剣士等々の劇場公開版は芦屋会館で見ました。学校へ行けない時間は映画やテレビの空想の世界が友達でした。

 それでも、近所のがき大将に誘われては、自宅の北側に広がる葦原の空き地で「基地ごっこ」遊びに夢中になっていました。 


 小学校の2年生の時には、近所の松の木の上に乗って、忍者部隊月光ごっこ!しかし、バランスを崩して転落してしまいます。この松は現在はマンションになっておりますが、近所の方が歴史的な松として今も残してくれています。


 私はこの前を通る度に、痛い思い出と共に、近所が大騒ぎになった少年時代が蘇ってしまいます。


 そして、ウルトラセブン(ウルトラ警備隊西へ)が芦屋でロケをすると聞いて市役所に出向き、ウルトラセブンが居ないのに、科学兵器をキング・ジョーに向かって発射している真似や撃つ方向を示した的のようなモノを見てしまいました。


 サンタクロースとウルトラセブンは実在していると信じていた私にとって、放映時は不思議にセブンもウルトラ警備隊も見事な戦いぶりでした。


 そんな少年は、海が大好きでした。時として大きな波や大群となってやってくる魚を何度も見ます。


 夏の星が降る夜空。潮騒や海鳴り。夜光虫で海は光輝き、不知火や蜃気楼も見たことがあります。

 沖には海面を照らして漁をするイカ釣り船が出ています。


 冬には、北海のように雪が浜に積もることもあり、砂混じりの雪だるまを作って楽しみました。。


 宮川や芦屋川へいくと、ウナギの稚魚取りやフナやメダカ捕り、自然と共生していた芦屋市だったのです。


 近所には数多く存在していた洋館建築や茶室や蔵のある屋敷があって、庭で咲いた花を自宅の前に切り花として・・・「ご自由にお持ち帰りください」そんな光景は珍しいことではありません。


 屋敷の周りはご自身で掃除されていた奥様方が多く、気さくで飾らない人柄が際立って、野球のボールが誤って屋敷の中に入ったら、怒られることなく入らせてもらえるし、「これをみんなで食べなさい」とおやつまでくれる。見たことのない外国製のクッキーやチョコレートでした。そのさり気なさがカッコよかったのです。


 今はその屋敷のほとんどはマンションになっています。


 街の風景は変わってしまったのですが、目を閉じると少年時代が今でも鮮明に蘇るのです。

 芦屋は未来に続いていくことでしょう。


 しかし、この芦屋市になるために、先人たちが未来に続くたくさんの街づくりをしてくれています。


 古きものは悪しきものにあらず、新しいものを生み出す苗床になります。

 そんな思いから始めた「あしや温故知新」です。


 実は100回を目標にして、一旦終了させようと考えておりました。

 

 阪神淡路大震災のレクイエムが最終回のはずでした。


 しかし、このレクイエムがかなり評判がよくて、、。

 たくさんの方から激励を頂戴しました。


 「こりゃ、やめらないなぁ」

 

 まだまだ、残しておきたい芦屋の物語がたくさんあります。

 

 ご期待ください。

 

 どうぞよろしくお願いします。


また、皆さんからのリクエストもお受けします。